シチリア沖でワイン運搬船の大規模沈没船発見、古代ローマ期か
イタリア・シチリア島の沖合で、古代ローマ時代の交易船とみられる大規模な沈没船が発見された。ワイン運搬用の壺を積んだまま海底に横たわっており、当時の地中海交易のルートを知る手がかりになると専門家は見ている。
何が起きたのか
発見したのはイタリア人のダイバー2人で、うち1人は魚突きの競技で実績のある人物だった。現地時間の8月上旬、シチリア島西端の漁港マザーラ・デル・ヴァッロ沖合およそ3マイル、水深46メートルの海底を探索していたところ、探知機ではただの岩と表示されていた物体に行き当たった。ダイバーの1人はInstagramで、現地時間の8月9日に「何かが確かめろと自分を促した」と当時の様子をつづっており、潜って近づくと、2000年前のものとみられる遺物だと分かったという。
イタリア文化省は現地時間の8月8日、この発見を公表した。沈没船は全長21メートル、幅6メートルと地元メディアは伝えている。現場には数百点のアンフォラ(amphora、取っ手が二つあり底がとがった古代の陶製の壺で、ワインなどの液体を貯蔵・運搬するのに使われた)が積まれたままの状態で見つかった。大半は「ドレッセル1A」と呼ばれる型式で、これは壺の形状から年代を推定する手がかりとなる分類名とされる。1個で20リットル近い液体を入れられる大きさだったとみられる。年代は紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけてのものと推定されている。
イタリアのジュリ文化相はこの発見について「近年で最も重要な水中考古学の発見の一つ」だと評価した。
背景
海底の沈没船調査は、1940年代にスキューバダイビングが実用化されたことで本格的に始まったとされる。ただし初期には学術的な手続きを踏まない乱掘や、遺物の違法な持ち出しも横行したという指摘がある。近年のイタリアは、こうした水中遺跡の管理・監視で先進的な取り組みをしてきた国の一つとされる。
水中考古学者のデイヴィッド・ギビンズ氏は今回の遺跡を並外れたものだと表現し、船体を丸ごと引き揚げるのではなく、現地保存(in situ、遺物を海底から動かさずそのまま保存する方法)が採られる可能性が高いと話す。年代や積み荷の性質を明らかにするのに必要な範囲だけを発掘し、船体が残っていれば限定的に船底まで掘り進める、という程度にとどまるだろうというのがギビンズ氏の見立てだ。金銀などの財宝を狙う盗掘者にとって、この種の積み荷にうまみは少ないとも同氏は指摘する。当時の価値の中心は壺の中のワインそのものにあり、それは裕福な元老院議員らが所有する広大な農園で作られたものが多かったという。密閉が良好なら壺の中にワインの痕跡が残っている可能性もあり、焼成前に刻まれた印などから積み荷の産地について新たな情報が得られることも期待されている。
ギビンズ氏がとりわけ注目するのは沈没船の位置だ。当時のイタリア産ワインの主要な生産地は、現在のトスカーナからナポリ周辺にかけての一帯で、そこから運ばれたワインの多くはガリア(現在のフランスを中心とする地域)のケルト人の首長たちのもとへ送られていたとされる。これはユリウス・カエサルによるガリア征服(紀元前50年前後)以前の時代にあたる。一方、シチリア島南西部はこの主要ルートからは外れた場所にあり、この船がどこへ向かっていたのかは分かっていない。ギビンズ氏は、行き先は北アフリカ(紀元前2世紀半ば以降にローマの支配下に入った地域)かスペインだったのではないかと推測しており、共和政ローマが帝政へと移り変わっていく時期の交易活動について、新たな手がかりが得られるかもしれないと話している。
日本にとっての意味
引き揚げるべきか、海底に残したまま保存するべきか。ギビンズ氏が今回の遺跡について挙げたこの論点は、日本にとっても他人事ではない。長崎県の鷹島沖では、元寇(13世紀の元軍による襲来)の船とみられる沈没船の調査が海底で進められてきたとされ、水中に残る遺跡をどう扱うかという課題は各国の考古学に共通するテーマとみられる。
また、今回の発見が研究機関の調査ではなく、民間のダイバー2人の偶然の気づきから始まった点も興味深い。海に囲まれた日本でも、漁業者やダイバーが未知の遺物に行き当たる可能性は常にある。
ワインという嗜好品が2000年以上前から地中海を越えて運ばれていたという事実は、今では日本の食卓にも当たり前に並ぶイタリアワインの歴史の長さを、あらためて感じさせるものでもある。