中世スコットランドの遺骨に160箇所超の骨折 投石機の直撃か
1997年にスコットランドのスターリング城で発掘された遺骨の一つに、160箇所を超える骨折の跡があることがわかった。研究者は、1304年の包囲戦で使われた投石機(トレビュシェット、trebuchet)の直撃によるものとみている。中世の戦闘で投石機による外傷が確認されたのは、これが初めてだという。
何が起きたのか
英ブラッドフォード大学の生体考古学者ジョー・バックベリー氏が、最近開かれたパレオパソロジー協会(Paleopathology Association、古病理学の学会)の会合でこの分析結果を発表した。遺骨は1997年にスターリング城で見つかった9体のうちの1体で、放射性炭素年代測定により、1296年から1357年まで続いたスコットランド独立戦争の時期のものと判明している。死亡時の年齢は22歳から34歳とみられる。
骨折は頭蓋骨と肋骨に集中し、その数は160箇所以上にのぼる。バックベリー氏によると、この損傷パターンは剣による戦闘の傷とは明らかに異なり、幅広い面に一度に強い力が加わった「押しつぶすような」損傷だという。同氏は現代の類似症例を探した結果、自動車事故や列車事故の被害者に最も近いという結論に至った。「彼は背後から、非常に速い速度で動く何かに打たれたように見える」とバックベリー氏は科学誌サイエンスに語っている。1304年のスコットランドで、大きく高速で動くものといえば投石機が発射する石しかない、というのが同氏の推理だった。分析では、右肩と後頭部に大きな石が強い力で命中し、その場に押し倒されたとみられている。「損傷の規模から見て、死は即死だったはずだ」と同氏は英デイリー・メール紙に述べた。この研究はまだ査読付き論文としては発表されていないが、リトアニア・ヴィリニュス大学の法医骨学者ルーカス・ヴァルテンベルガー氏は、証拠は説得力があると評価している。
背景
投石機(トレビュシェット)は、重りの落下する力を利用して石などを高速で射出する攻城兵器で、中世ヨーロッパでは城壁を破壊するために使われた。1304年の包囲戦でイングランド王エドワード1世が投入した「ウォー・ウルフ(War Wolf)」は、当時作られた木製の投石機として最大級とされ、300ポンド(約136キロ)を超える石を発射できたと伝えられる。19世紀の記録には、この兵器が城壁を「布を矢が貫くように」たやすく打ち破ったと記されているという。
スターリング城は当時、スコットランド独立派最後の拠点だった。「勇敢な心」で知られる独立運動の指導者ウィリアム・ウォレスはすでに追われる身となっており、大半のスコットランド貴族はエドワード1世に降伏していた。城に残った守備隊は3か月籠城した末、ウォー・ウルフの破壊力を前に降伏したとされる。伝わる記録によれば、投石機の完成はこの降伏にわずかに間に合わなかったが、エドワード1世は新兵器の威力を試したいがために、完成するまで城内への出入りを許さなかったという。遺骨の男性がこの最後の攻撃で命を落としたのかは分かっていない。バックベリー氏によると、投石機の標的は城であって人ではなく、狙いも正確ではなかった。命中したこと自体が並外れて不運だったとみられる。
この戦いの後もスコットランドの独立をめぐる争いは続いた。1314年にはロバート・ザ・ブルース率いる軍がバノックバーンの戦いでイングランド軍に大きな打撃を与え、1328年にはイングランドがスコットランドの独立を公式に認めることになる。もっともこの独立も長くは続かず、両国が一つの王冠のもとに統合されるのは1603年を待つことになった。
日本にとっての意味
投石機による損傷が骨に残ることを法医学的に裏付けた今回の研究は、中世の戦争がどれほど物理的に苛烈だったかを、現代人にも実感できる形で示している。バックベリー氏が比較対象に自動車事故や鉄道事故を挙げたように、当時の攻城兵器は現代の交通事故に匹敵する速度とエネルギーで人体を破壊し得た。日本では城郭や合戦の歴史に関心を持つ読者は多いが、投石機のような大型攻城兵器を使った包囲戦は日本の城攻めとは様相がかなり異なる。石垣や堀を中心とした日本の築城思想と、城壁そのものを巨大な質量兵器で打ち破ろうとしたヨーロッパの攻城戦を比べてみると、地域ごとの築城・攻城の発想の違いが見えてくる。また、遺骨という物的証拠から歴史的な兵器の威力を再構成する手法は、文献史料が乏しい合戦の実態解明にも応用できる考古学の技法として、日本の史跡発掘にも通じるところがある。