ベルニーニ作か、収蔵庫の肖像画をウィーンで再評価
ウィーン美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)は、収蔵庫に長く置かれていた肖像画「老人の肖像」について、バロック期の彫刻家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品である可能性が高いと発表した。この絵は現地の12月2日から2027年4月4日まで、同館がウィーンのロブコヴィッツ宮で開く展覧会「ベルニーニ 画家と彫刻家」の目玉として公開される。真作と広く認められているベルニーニの絵画は約16点しかなく、今回の見直しが認められれば、その一角に加わることになる。
何が起きたのか
「老人の肖像」は、乱れた白髪の高齢男性の頭部と肩を、暗い背景の前にほぼ等身大で描いた作品だ。この絵は1900年にウィーンの収集家リーベンが購入し、その前はエンゲルスホーフェン男爵が所有していたとされるが、それ以前の来歴は分かっていない。リーベンの遺贈によって1920年に美術館へ入った当初はフランスの画家フィリップ・ド・シャンパーニュの作とされていたが、その後も作者不明のイタリア人画家や、フランス、フランドルの画家の名が次々に挙がり、確定した帰属(誰が描いたかの判定)を得られないまま1989年に収蔵庫へ移された。館のウェブサイトが公開する2,800点の目録にも含まれていなかった。
今回、同館の学芸員グドルン・スヴォボダは、男性の衣装や襟、髪型が1670年ごろのローマの流行を反映していると分析したうえで、認められているベルニーニの絵画や素描、彫刻作品との様式比較からベルニーニ本人の作と結論づけた。顔の空間表現や骨格・筋肉への観察眼、絵の具を短い筆致で幾重にも重ねる技法を「彫刻家が粘土で顔を作り上げていくような」と表現し、口元の造形にはベルニーニの代表作であるルイ14世胸像(現在ヴェルサイユ宮殿蔵)との共通点があるとする。一方で衣服や右肩の描写は顔の部分より弱く、科学調査でも二人の異なる筆による制作だったことが確認されており、スヴォボダは顔をベルニーニ本人、下半分を息子など別人が担当したとみている。描かれた人物については、晩年のベルニーニが友人や要人のためにしか仕事をしなかったことから、教皇アレクサンデル7世の兄弟で、ベルニーニ晩年の重要な後援者だったマリオ・キージ(1594〜1669年)である可能性を挙げているが、あくまで推測にとどまる。
背景
ベルニーニは彫刻と建築で名を残したバロック期(17世紀)を代表する芸術家で、ローマの噴水や教会建築で知られる。絵画作品を残したという記録自体は多く、生涯で最大200点を描いたとされるが、現存して専門家の間で真作と広く認められているのは約16点にとどまり、そのほとんどは1620年から1640年の間の制作とされる。しかも彼は作品に署名を残さなかったため、帰属の判定は難航しがちだ。加えて、ベルニーニは1650年ごろに絵筆を置いたというのが定説になっており、それより20年ほど後の1670年ごろの作という今回の年代づけは、この定説と食い違う。わずかに残る文書がローマでの晩年の制作に触れているとはいえ、この矛盾が今回の帰属を「議論を呼ぶもの」にしている。美術館は他の専門家にも内々に意見を求めており、12月からの展覧会でウフィツィ美術館所蔵のベルニーニ自画像(1635年ごろ)や英王室コレクションの自画像素描(1675〜80年ごろ)などと並べて展示することで、最終的な判断の材料にしたい考えという。
日本にとっての意味
日本でベルニーニといえば彫刻家・建築家としての知名度が圧倒的で、絵画作品が紹介される機会はほとんどない。真作と認められる絵画自体が世界で十数点しかない希少さを踏まえると、今回の見直しは、この絵がその数少ないリストに加わるかどうかを占う出来事であり、政治や経済の大きなニュースではないものの、美術史の細部が塗り替えられる過程として関心を持つ価値がある。展覧会は現地の2027年4月4日までウィーンで続くため、欧州渡航の予定がある読者には実際に見比べられる機会でもある。また、帰属不明のまま収蔵庫で長く出番を失っていた作品が、様式の比較検討や科学調査を経て再評価されるという今回の経緯は、来歴の記録が乏しい古い美術品を抱える美術館では珍しくない状況とみられる。国内の美術館が所蔵品の再調査を進める際にも、同じような手続きが取られる可能性がある。