キーウの芸術家集団、ロシアの攻撃に耐えた末に退去求められる
キーウの芸術家集団「ナヒルナ22」は、ロシア軍の攻撃を2度受けながらも、自力で拠点を修復してきた。だが2026年、拠点としてきた建物からの退去を求められ、活動場所を離れることになった。所属していた芸術家たちは現在、キーウ各地に散らばりながらも、共同での活動を続けているという。
何が起きたのか
ナヒルナ22は、キーウ市内のナヒルナ通り22番地にある「キーウ・オートメーション研究所」の建物内で活動してきた芸術家の集まりだ。
現地時間2025年8月28日、ロシア軍がキーウを攻撃し、ナヒルナ22の工房の窓が吹き飛び、キャンバスは破れ、機材が壊れた。論考はこの攻撃で市民1人が死亡したと記しているが、同日のキーウへの大規模攻撃では全体で25人が死亡している。芸術家たちは自らガラスの破片を片づけ、割れた窓をビニールシートで応急的にふさぎ、数週間のうちに活動を再開した。
現地時間の10月18日には発足6周年を記念して工房を一般公開するイベントを開き、8月の攻撃で壊れた窓を直すための資金を集めた。共同創設者のうち2人、サビナ・マグニトフォンとマルタ・ニルコワは、海外の支援者やギャラリー、Art Shield、工房見学に訪れた人々などから計80万フリブニャ(ウクライナの通貨)を集めたという。
ところが現地時間の11月14日、ナヒルナ22は再びロシア軍の攻撃を受けた。窓がまたも破壊され、屋根も損傷した。
さらに現地時間の2026年4月30日、拠点としてきた建物のテナントに対し、5月末までの退去が求められた。ロシア軍の攻撃をしのぎ、自力で建物を修復してきた芸術家たちが、今度は行政上の手続きによって拠点を離れることになった。
現地時間8月19日に伝えられた続報によると、ナヒルナ22内にギャラリーを構えていたアンナ・マイダニクは、この建物がもはや集団の拠点ではなくなったことを認めた一方、芸術家たちはキーウ各地に散らばりながらも共同で活動を続けていると説明している。マイダニクは、条件が整えば建物を離れた芸術家たちが戻れる可能性があるとし、今後、工房やリース契約をめぐるオークションの機会が用意される見通しだと述べた。
背景
この経緯を伝えた美術専門メディア、ジ・アート・ニューズペーパーの論考は、ウクライナ政府やキーウ市当局、国有財産基金、国家移民局に対し、ナヒルナ22の芸術家集団を保護するよう介入を求めている。国有財産基金への言及があることから、建物は公有とみられる。論考は、ロシア軍による工房への攻撃に軍事的な意味はなく、狙いは若い芸術家たちの想像力と文化そのものを断つことにあると論じ、ロシアがウクライナの文化を消し去ろうとしていると主張している。
工房を共有しながら活動する芸術家集団にとって、物理的な空間を共にすること自体が活動の価値の一部となっている場合が多い。散らばった芸術家たちが今も共同で活動していると説明されるのは、ばらばらになったことを取り繕っているのではなく、コミュニティを保とうとする芸術家たちの意志の表れとみることができる。
日本にとっての意味
日本のウクライナ報道は軍事や外交をめぐる動きが中心になりやすく、こうした文化インフラをめぐる危機はあまり伝えられてこなかったという指摘がある。だが今回の経緯は、戦争で傷ついた文化施設が、修復後に今度は行政手続きによって存続を脅かされるという、単純ではない構図を映し出している。
日本国内でも、廃校や公共施設を活用した工房やアトリエは短期の使用許可のもとで運営されることが多く、利用者が自ら手を入れて維持してきた場所が、契約更新や用途変更のタイミングで失われる例は起こり得るとの指摘がある。ナヒルナ22の芸術家たちが自力で修復した建物からの退去を求められた経緯は、資金さえあれば場を守れるわけではないという、公有施設に間借りする文化活動に共通する脆さを示している。
また、今回の資金集めは海外のギャラリーや個人の支援者によって支えられていた。日本からウクライナへの支援は財政や人道支援、インフラ復旧の分野で報じられることが多く、文化分野への関心は相対的に見えにくいという指摘もある。ナヒルナ22のような事例は、戦争下で失われかねないものが軍事関連の被害だけではないことを伝えている。