レンブラント縁戚の画家、幻の素描帳を約100年ぶり公開
アムステルダムの国立美術館(Rijksmuseum、リークスミュージアム)が8月19日(現地時間)、17世紀の画家ロンブアウト・アイレンブルフ作とみられる素描帳を公開した。ファン・エーヘン家が300年以上所蔵してきたこの本を美術館に寄贈したことで実現したもので、一般に見られるのはおよそ100年ぶりだという。会期は3か月間の予定。
何が起きたのか
公開された素描帳「Konst boeck voor Reyer Claessoon(レイエル・クラースゾーンのための美術帳)」には、聖書の場面を描いた精緻な連作を含む約30点の素描が収められている。多くは青い紙に描かれており、この色調が影を濃く、ハイライトを明るく見せる効果を生み、絵に奥行きと対比を与えている。長い間ほとんど光に当たらずに保管されてきたため、色彩が驚くほど鮮やかなまま残っているという。
美術館の統括ディレクター、タコ・ディビッツ氏は声明で「ファン・エーヘンの素描帳はオランダの素描の傑作のひとつだ。この寄贈により、作品がほとんど残っていない魅力的な画家、ロンブアウト・アイレンブルフを誰もが知ることができるようになる」と述べている。素描帳が公の場に展示されるのは、1935年にアムステルダムのフォーダー美術館(現在は閉館)で展示されて以来という。
背景
アイレンブルフは1580年頃、オランダのレーワルデンに生まれた。一家はその後ポーランドのクラクフに移り、彼はそこで画才を伸ばし、ジグムント3世治下の宮廷画家になったとされる。1612年頃には現在のグダニスクにあたるポーランドの港町ダンツィヒへ移り、グリザイユ(grisaille、灰色の濃淡だけで描く単色画)の技法で名を知られるようになった。しかし1627年か1628年の死後、その名と作品は次第に忘れられていった。
現在アイレンブルフの名がわずかに知られているのは、兄弟のヘンドリックがアムステルダムで著名な画商となり、レンブラント・ファン・レインと深く関わったことによる。1634年、レンブラントはロンブアウトとヘンドリックのいとこにあたるサスキア・ファン・アイレンブルフと結婚している。
素描帳の元の持ち主レイエル・クラースゾーンはオランダのエンクハイゼン出身で、のちにダンツィヒに移り住んだメノナイト(Mennonite、再洗礼派の一派)の商人で、アイレンブルフ一族も同じメノナイトの共同体に属していた。本の装丁には金文字で彼の名が刻まれている。ファン・エーヘン家も同じメノナイトの人脈を持っており、美術館側はこうしたつながりが、素描帳が世代を超えて一族のもとにとどまった一因ではないかとみている。
この素描帳をアイレンブルフの作とする説を最初に唱えたのは、寄贈の由来となった故C・P・ファン・エーヘン氏で、美術館に所蔵されるアイレンブルフの素描との類似に気づいたのがきっかけだった。その後、美術史家エリック・P・ロフラー氏が調査を進め、2013年に一定の留保付きでアイレンブルフ作とする鑑定結果を発表した。同氏の研究は、アムステルダムのオンス・リーヴェ・ヘール・オプ・ソルダー美術館が所蔵する5点の絵画をアイレンブルフの工房作とする鑑定にもつながったという。美術館の声明によれば、絵画が数点残るほかは、アイレンブルフ本人による素描で現存が確認されているのはこれまで2点のみで、うち1点は国立美術館自身が所蔵している。
日本にとっての意味
この発見は、オークション市場を賑わせるような高額落札のニュースとは違い、地味だが美術史の空白を埋める話題である。レンブラントは日本でも人気の高い画家だが、その周辺にいた画商や親族の一族については、日本ではあまり知られていない。今回の素描帳は、レンブラントが結婚したサスキアの一族という接点を通じて、17世紀オランダ絵画の人間関係や工房制度への理解を広げる資料になり得る。
また、青い紙に描かれた素描が長期間の非公開によって色彩を保っていたという事実は、美術品の保存と公開のバランスという、国内の美術館にも共通する課題を考えるきっかけになる。この素描帳をもとに、アイレンブルフの生涯や技法、工房の実態の研究が進むとみられ、絵画史ファンや美術館愛好者にとっても注目に値する動きだ。