バイユーのタペストリー、失われた最終場面を子どもが描く企画
11世紀に制作された全長約70メートルの刺繍芸術「バイユーのタペストリー」が、フランスからイギリスへ渡り、ロンドンの大英博物館で公開される。これに合わせ、7歳から11歳の子どもたちが作品の「失われた最終場面」を想像し、自分たちの手で刺繍して完成させる企画「Beyond the Battle」が2026年9月下旬に始まる。慈善団体イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)と、財団アート・エクスプローラ(Art Explora)が共同で主催する。
何が起きたのか
バイユーのタペストリーは、1066年のヘイスティングズの戦いとノルマン人によるイングランド征服を描いた作品で、長年フランス北西部バイユーの博物館に所蔵されてきた。博物館の2年間の改修工事に伴い、大英博物館への貸し出しが決まり、現地の2026年9月10日から2027年7月11日まで公開される。公開初期の入場券は発売から1日で完売したという。
この公開を記念し、イギリス各地の子どもたちがクラス単位で、征服の先にある「より良い明日」を描く独自の最終場面を考案し、布に刺繍して仕上げる。作品名にある通り「戦いの先」を見据えた場面作りが課題で、優勝したクラスにはロンドンで本物のタペストリーを見る旅行や、ヘイスティングズの戦場跡など関連史跡を訪れる機会が贈られる。
この試みには前例がある。2012年にはチャンネル諸島オルダニー島の刺繍家グループが、1年かけて約3メートルの「戴冠の場面」を制作し、2014年にバイユーの博物館で本物の隣に展示された。中世史家のロバート・バートレット氏はBBCの取材に、大きさや意匠、文字の書体、人物の姿勢まで原作に忠実に再現されていると評価したという。2016年にもイングリッシュ・ヘリテージが子ども向けの企画「The Kids’ Tapestry」を実施し、当時10歳だったケイト・アーノルドさんが考案した「インターネットの発明」の場面が最終パネルに選ばれている。今回の企画は、過去の史実の再現ではなく、子どもたち自身が物語の続きを創作する点が異なる。
背景
バイユーのタペストリーは、名前に反して実は「タペストリー(織物)」ではない。伝統的なタペストリーは織機で色糸を織り込んで模様を作るが、この作品は麻布に色付きの羊毛糸で絵柄と文字を刺繍したもので、技法としては刺繍布に分類される。誰がどこで作らせたのかも完全には分かっていない。かつてはウィリアム征服王の妃マティルダとその侍女たちが制作したという伝承があったが、それを裏付ける証拠はなく、現在の多くの歴史家は、ウィリアムの異父弟にあたるバイユー司教オドーが制作を依頼したとみている。作られた場所もイングランドのカンタベリー付近だった可能性が高いとされる。
作品はヘイスティングズの戦いでイングランド王ハロルド・ゴドウィンソンが討たれる場面で唐突に終わっており、一部の歴史家は、本来はさらに約3メートル分、同年のクリスマスに行われたウィリアムの戴冠式を描く場面が続いていたはずだと考えている。この失われた部分が実際に存在したのか、存在したとして何が起きて失われたのかは分かっていない。1476年の記録にバイユー大聖堂で保管されていたことが記されており、フランス革命期には兵士の荷馬車の覆いにするために切り刻もうとする動きがあったが、地元の弁護士レオナール・ランベール=ルフォレスティエが作品を守ったという地元の言い伝えが残る。1803年から1804年にかけてはパリで一時公開され、その後バイユーに戻された。1842年からは戦時中の避難期間を除き、一貫してバイユーで公開されてきた。
日本にとっての意味
バイユーのタペストリーは、ヘイスティングズの戦いという中世ヨーロッパ史の転換点を伝える数少ない同時代史料の一つでありながら、その結末部分が欠けているという珍しい空白を抱えている。今回の企画は、その空白を専門家の推測で埋めるのではなく、子どもたちの創作に委ねるという点が特徴的だ。歴史資料には確定した事実だけでなく、失われた部分や解釈の余地が残ることがあり、それをどう扱うかという姿勢の違いは、日本の史料や文化財の保存・公開のあり方を考える上でも参考になる。例えば、焼失や散逸で一部が失われた絵巻物や古文書について、欠落部分を専門家の研究成果として補うのか、あるいは今回のように市民参加型の創作として補うのかは、文化財の見せ方をめぐる一つの選択肢の違いといえる。また、大英博物館での公開は現地の2026年9月10日から始まり、日本からロンドンへの渡航を検討する歴史愛好家にとっても、長期の特別展示として旅行計画の材料になるだろう。