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シャープビル虐殺の生存者と遺族、南ア政府を提訴 補償阻む法律の撤廃求める

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1960年にアパルトヘイト(人種隔離)政策下の警察が抗議行動に発砲し、公式記録で69人が死亡、多数が負傷したシャープビル虐殺をめぐり、生存者と遺族の弁護団が南アフリカ政府を相手取った訴訟を起こした。虐殺の翌年に成立した法律が賠償請求の壁になってきたとして、この法律自体の違憲確認を求めている。

何が起きたのか

訴訟を担うのは人権擁護団体ローヤーズ・フォー・ヒューマン・ライツ(Lawyers for Human Rights)の弁護士たちで、被告は南アフリカの大統領、警察相、司法相の3者となっている。同団体のシャーン・トレーシー弁護士によると、争点は大きく2つある。ひとつは、虐殺翌年に成立した免責法(Indemnity Act、警察や政府への賠償請求や責任追及を封じた法律)を違憲と認めさせること。もうひとつは、被害者と遺族を集団訴訟の「クラス」として認定させ、個々人が損害賠償を請求できるようにすることだ。

生存者の一人、アブラム・モフォケンさん(87)は「約束を守ってほしい」と述べ、ネルソン・マンデラ氏が服役後に慰霊碑を除幕した際、被害者に12万ランド(記事執筆時点の為替で約7400ドル相当)を支払うと約束したと振り返っている。虐殺の犠牲者の孫にあたるムパイ・チャバネさんも、祖母を知らずに育ったことに触れ、事件が今も家族に影響を及ぼしていると語った。

背景

シャープビル虐殺は、黒人住民に身分証明のための通行証(パス)の携帯を義務づけていた制度への抗議行動の最中に起きたとされ、警察の発砲による死傷者の多さから、アパルトヘイト体制の暴力性を国際社会に強く印象づけた事件として知られる。

南アフリカでは1994年の民主化後、真実和解委員会(TRC)が過去の人権侵害を調査し一部の被害者に補償を行ったとされるが、シャープビルの被害者・遺族については、事件直後に整備された免責法などの法制度が壁となり、十分な補償が進んでこなかったとみられる。

今回の訴訟は、時効や証拠の乏しさといった通常の障害とは別に、加害責任の追及そのものを制限する法律を正面から違憲だと主張する点に特徴がある。

日本にとっての意味

この訴訟は、日本の戦後補償をめぐる議論とも通じる論点を含む。日本でも、戦時中の動員や国内での人権侵害をめぐって国の責任を問う訴訟が起こされてきたが、その多くは除斥期間や時効、あるいは当時は国の賠償責任を認めない考え方があったことなどが争点となり、被害者側が救済を得るのが難しい構図が繰り返されてきた。今回の南アフリカのケースが示すのは、時効という時間の壁だけでなく、事件直後に成立した法律そのものが賠償への道を閉ざしてきたという、より直接的な制度の壁である。加害から半世紀以上を経て、その根拠法自体を違憲だと訴える枠組みは、被害の性質や制度は異なるものの、過去の国家的な人権侵害の責任をどう法的に清算するかという普遍的な問いを、日本の読者にも改めて考えさせる材料になる。