ガザの被災写本救出、ユネスコの世界の記憶賞を初の個人受賞
ガザ地区で戦火に見舞われた歴史的な写本や古文書を瓦礫の下から救い出してきた2人の専門家が、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」賞(Memory of the World Prize、正式名称はユネスコ/ジクジ世界の記憶賞。文書遺産の保存に貢献した個人・団体を称える賞)を受賞した。同賞は通常、博物館や図書館などの組織に贈られてきたが、2004年の創設以来、個人が受賞するのは今回が初めてとなる。賞金は4万ドル。
受賞したのは歴史家のアブドゥル・ラティフ・ハシム氏と、研究者でエンジニアのハニーン・アルアマシ氏。2人は現地の非政府組織「アイズ・オン・ヘリテージ(Eyes on Heritage)」のもとで緊急対応チームを立ち上げ、崩れた建物の瓦礫の下から古文書を掘り出す作業を続けてきた。中でも大きな成果とされるのが、ガザ旧市街にある中世の図書館、大オマリ・モスク図書館からの救出作業だ。同図書館は2023年12月、イスラエル軍の砲撃により大部分が破壊されたとされる。
2人が救出・デジタル化した資料は、マムルーク朝やオスマン帝国の時代にさかのぼるとされる文書を含め2万5千ページ以上にのぼる。優美な書体で装飾されたクルアーンの写本のほか、法律・医学・文学に関する文書など、ガザの文化的アイデンティティにとって重要とされる資料が含まれているという。この取り組みには英国図書館の「危機に瀕したアーカイブ・プログラム(Endangered Archives Programme)」の支援もあり、チームはガザで初めてとなる専門の写本修復ラボも設立した。
賞は現地時間の9月4日、韓国・清州で開かれた式典で授与された。今回は過去最多となる58件の国際的な推薦の中から選ばれたという。ユネスコの発表文で2人は「文書遺産の保存と保護に捧げられた活動は、人々のアイデンティティと集合的記憶を守るための最も重要な手段の一つだ」と述べている。
何が起きたのか
ユネスコのハリド・エルエナニ事務局長は、国際専門家審査団の推薦を受け、ハシム氏とアルアマシ氏を2026年の世界の記憶賞受賞者に選んだ。受賞理由は、極めて困難な状況下でガザの文書遺産を守ろうとした2人の努力と、現地における長期的な保存能力の強化への貢献にあるという。
ユネスコのマリヤ・ガブリエル広報・情報担当事務局長補は、2人が過酷な環境の中で危機に瀕した文書遺産を守り抜いたことを審査団が評価したとコメントしている。ガザで文化財保護活動を進める国際NGO「プルミエール・ユルジャンス・アンテルナショナル(PUI)」でガザの文化財プログラムを統括するジハード・アブハッサン氏は、ハシム氏らの努力にもかかわらず、写本は今もなお危険にさらされ続けていると指摘する。同氏は自身が関わるINTIQALプログラムを通じ、アイズ・オン・ヘリテージと連携して、オマリ・モスク図書館の建物の安定化や資料の予防的な保存、リスク低減のための技術的な対策をさらに進める計画だという。
背景
ユネスコの「世界の記憶」は、写本や公文書、映像記録など、人類共通の遺産として重要な文書資料を対象とする国際的な登録・顕彰の枠組みで、1992年に始まったとされる。紙製の資料は火災や砲撃による直接の焼失に加え、建物の崩壊で瓦礫に埋もれたり、雨水や湿気でカビが生えたりすることでも失われていく。瓦礫の下からいかに早く資料を取り出し、乾燥や消毒などの応急処置を施すかが、その後の修復の成否を大きく左右するとみられる。
デジタル化は、原本そのものが将来失われる事態に備える手段でもある。紙の劣化や再度の破壊に見舞われても、ページの画像データが残っていれば内容自体は次世代に引き継げる。ガザに専門の写本修復ラボができたこと自体も、外部からの一時的な支援に頼らず、現地の人材が継続的に保存活動を担える体制づくりという点で意味を持つとみられる。
日本にとっての意味
原因は自然災害と戦災で異なるが、被災した文化財や史料をいかに救出し安定化させるかという実務は、日本にとっても決して縁遠い話ではない。日本では地震や豪雨のたびに、被災した古文書や美術品を泥や水から救い出し、乾燥・脱塩・カビ対策を施してから修復につなげる「文化財レスキュー」の取り組みが各地の博物館・大学・ボランティアによって積み重ねられてきた。ガザの現場で行われている、瓦礫の下から紙の資料を掘り出し応急処置を施すという作業は、こうした災害時のレスキューの手順と重なる部分が多いとみられる。
また、日本の紙や書籍の修復技術、とりわけ和紙を使った修復手法は、国外の文化財保存の現場でも活用されている。今回のニュースは、紛争地の破壊を伝える報道の陰で、現地の専門家たちが手を動かして資料を守ろうとしている具体的な様子を伝えるものであり、災害と紛争という違いを超えて、文化財保存という営みが持つ共通の意味を考えるきっかけになる。