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バイユーのタペストリー、約1000年ぶり英国へ渡る

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フランス・ノルマンディーのバイユー美術館が所蔵する「バイユーのタペストリー」が、2026年9月10日(現地時間)にロンドンの大英博物館で公開が始まった。英仏両国の合意に基づく貸与で、見返りに大英博物館は7世紀の副葬品「サットン・フーの遺宝」と12世紀の「ルイス・チェス駒」をフランスに貸し出す。この布が作られたとみられる土地に渡るのは約1000年ぶりとされる。

何が起きたのか

2025年7月9日(現地時間)、英国のキア・スターマー首相とフランスのエマニュエル・マクロン大統領が、バイユーのタペストリーを大英博物館の展覧会のために英国へ貸し出す歴史的な合意に署名したと伝えられている。展覧会は2026年9月10日(現地時間)にロンドンで開幕した。長さ約70メートルに及ぶこの中世の布には、ノルマン征服の物語が刺繍で描かれている。

見返りとして大英博物館は、イングランド東部サフォークのサットン・フーで見つかった7世紀のアングロサクソンの副葬品と、セイウチの牙で彫られた12世紀の「ルイス・チェス駒」をフランスに貸し出す。タペストリーが保管されているノルマンディーのバイユー美術館は改修工事のため2027年後半まで閉館する予定で、その間は英仏それぞれで貴重な文化財を見られることになる。

この貸与が注目されるのは、タペストリーがイングランド、つまり制作に関わった土地に戻るのが約1000年ぶりとみられる点だ。大英博物館理事会のジョージ・オズボーン議長は、この展覧会について、過去のツタンカーメン王や兵馬俑の展覧会と並ぶ、一世代に一度の目玉展になるとの見方を示している。

背景

バイユーのタペストリーが描くのは1064年から1066年にかけての出来事だ。エドワード懺悔王の死をきっかけに起きた王位継承をめぐる争いに始まり、1066年10月14日のヘイスティングズの戦いでイングランド王ハロルド2世が戦死する場面で締めくくられる。この戦いに勝利したノルマンディー公ウィリアムがイングランド王ウィリアム1世として即位した出来事は、一般に「ノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)」と呼ばれる。

制作を発注したのは、征服王ウィリアムの異母弟にあたるバイユー司教オドだったとみられている。実際に刺繍を手がけたのはアングロサクソン系の職人が中心だったとされ、全体としてはノルマン側に有利な視点で描かれながらも、イングランド側の守備兵も勇敢な戦士として表現されているという。名前は「タペストリー」だが、技法としては綴織ではなく、麻布に羊毛の糸で絵柄を刺した刺繍作品にあたる。全体では58の場面、626人の人物、202頭の馬が描かれる。ラテン語の説明文とあわせて、当時の政治・軍事の出来事だけでなく、中世イングランドとノルマンディーの日常生活の様子まで伝える史料になっている。

この布は制作後しばらく歴史の表舞台から姿を消し、記録は1476年のバイユー大聖堂の目録に再び現れるまで空白がある。その後1720年代にフランスの学者ベルナール・ド・モンフォーコンが図版を発表し、1746年には英国の好古家ウィリアム・スチュークリーが著作で紹介した。フランス革命の混乱や、第二次世界大戦中にナチスの親衛隊が持ち去ろうとした経緯を経て、1945年にバイユーの町へ戻り、1983年から現在のバイユー美術館で公開されてきた。

日本にとっての意味

バイユーのタペストリーは、ノルマン征服を伝える代表的な史料として、日本の世界史の教科書や資料集にも図版で登場することが多い文化財だ。名前だけは知っていても実物を目にする機会がない読者にとって、それが動くという事実そのものに意味がある。

具体的な接点として大きいのは、見に行ける場所が一時的に変わるという点だ。これまでこのタペストリーを見るにはノルマンディーのバイユーまで足を運ぶ必要があったが、美術館の改修で2027年後半まで現地は閉館する。その間はロンドンの大英博物館で公開されており、英国渡航を計画する読者にとっては行き先の選択肢が増えることになる。一方でサットン・フーの遺宝やルイス・チェス駒は貸出期間中、ロンドンでは見られなくなる可能性がある点も念頭に置いておきたい。

また、国家間で文化財を相互に貸し借りするという今回の枠組みは、それが外交上の関係強化の手段としてどう使われるかを考える材料にもなる。日本国内の美術館や博物館が海外の目玉作品を招く際の交渉や、逆に日本の文化財を海外へ貸し出す際の進め方を考えるうえでも、参考になる事例といえる。