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ローマ出土の中世英貨、イングランド人街の通貨特権示す物証か

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ローマの発掘現場で、10世紀のイングランドで鋳造された銀貨20枚が見つかった。研究者らは、サン・ピエトロ大聖堂に近い一角にあった「スコラ・サクソヌム(Schola Saxonum)」というイングランド人の集住区で、硬貨が両替されずそのまま日常の支払いに使われていた可能性を示す物証だとみている。

何が起きたのか

ローマ市内のパラッツォ・デッラ・ロヴェーレの庭園で見つかったのは、ペニー銀貨19枚と半ペニー銀貨1枚の合計20枚。東アングリア、ケント、ロンドン、ウェストミッドランズで鋳造され、アルフレッド大王の子孫にあたる3人の王の名が刻まれている。14枚は2つのまとまりとして出土し、残りは周辺に散らばっていた。

ケンブリッジ大学の歴史学者ロリー・ネイスミス氏は「ローマで見つかったこの時期のアングロサクソンの硬貨は、教皇庁の硬貨よりも多い」と述べ、イングランドから大量の資金が流れ込んでいたことを示すと指摘する。半ペニーのような小額貨は日常の商取引で使われることが多く、研究チームは、地金に溶かされた銀の痕跡が見当たらないことから、硬貨が現地通貨に両替されずそのまま使われ続けていたとみている。現場からは革・骨・金属の加工跡も見つかり、数百人規模の住民が常時暮らしていた可能性があるという。

背景

スコラ・サクソヌムは8世紀に設立された、ローマを目指すイングランド人巡礼者の拠点だった。中世のイングランドでは、ローマへの巡礼は危険を伴う長旅で、途中で命を落とす者も少なくなかったとされる。それでもローマに資金が流れ込んだ背景には、教会への献金や寄進の慣行があったとみられる。

この集住区のイングランド人が一帯に死者を埋葬する特権を持っていたことは、以前から知られていた。今回の硬貨の発見は、埋葬だけでなく通貨の使用についても、受け入れ側であるローマ教皇庁から例外的な特権を認められていた可能性を示す新たな材料となる。ローマへ赴いたランゴバルド人やフランク人、フリジア人も同様の施設を築いたが、イングランド人と同じ特権を得ていた証拠は見つかっていないという。

日本にとっての意味

外国人の集住区に、受け入れ側が自国通貨の流通や専用の墓地を認める仕組みは、幕末の日本にも存在した。ただし向きは逆で、ローマのイングランド人街が恩恵として得た特権を、日本は不平等条約で受け入れさせられた。1858年の日米修好通商条約第5条は、外国の貨幣を日本貨幣と同種同量で通用させることを定め、双方の国人が日本と外国どちらの貨幣で支払ってもよいとした。

この結果、メキシコ銀(洋銀)が開港場で実用通貨として流通し、明治政府は1868年に洋銀の公定価格を定めた。1871年の新貨条例では、一円銀貨の無制限の通用を開港場に限って認めており、通貨の強制力が開港場の内と外とで分かれていた点は、ローマのイングランド人街で自国通貨がそのまま使われていたという話の裏返しとして読める。