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トルコ沖で見つかった2100年前の沈没船、割れぬ陶器の積み荷

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トルコ南部の沖合で、約2100年前に沈んだ船から大量の陶器が見つかった。箱に入れて運ばれたまま海底に沈んだため、多くの皿や鉢が割れずに残っている。発掘を進めるトルコの研究チームは、器の種類や同梱されていた貨幣から、積み荷の産地と沈没の年代を読み解きつつある。

何が起きたのか

トルコのアクデニズ大学の研究チームは、南部アドラサン近郊の海底で沈没船の発掘調査を進めている。船は水深42〜55メートルの砂の中に埋もれていた。積み荷には、皿や鉢、木の実用・魚用・スープ用など用途ごとに作り分けられた盆、アンフォラ(amphora、古代地中海で使われた細長い壺)が含まれ、数千点に及ぶ。

これらは、器と器の間に粘土を詰めた状態で箱に収められていたとみられる。エルソイ文化観光相によると、この梱包の工夫によって多くの陶器が割れずに今日まで残ったという。

研究チームは出土した陶器を122種類に分類した。アンフォラの多くはエーゲ海の島々で、皿や鉢の大半は現在のトルコ・アルスズにあたる港町ロソスで作られたとみられる。ロソスは古代、良質な陶器の産地として知られ、ローマの政治家キケロは紀元前50年に友人アッティクスへ宛てた手紙で、その陶器を「上質な陶器」と評した。

沈没船からはアナトリアの都市アンティオキアで鋳造された紀元前1世紀の貨幣も見つかっており、これにより少なくとも2000年前には沈んでいたことが分かった。船は2023年の水中調査で発見された。発掘は2025年に始まり、水中ロボットも使いながら現在も続いている。2023年に発表された論文で研究チームは、この船がアンティオキア・ギリシャ・イタリア半島を結ぶ交易網の中にあり、ローマへ向かう途中に嵐で浅瀬に乗り上げて沈んだとみている。

背景

アナトリア半島(現在のトルコ)は、ローマ帝国が東方へ領土を広げる過程で早い段階に組み込まれた地域の一つで、地中海の交易路の中継点として栄えたとみられる。

今回の船の積み荷が注目されるのは、単に古い陶器が見つかったからではない。器の種類ごとの分類、産地と推定される窯の場所、同梱の貨幣という3つの手がかりが組み合わさることで、ばらばらの出土品ではなく、いつどこからどこへ運ばれていた荷なのかという一つの記録として読めるようになる点にある。地中海の水中考古学では、こうした積み荷がまとまって残る沈没船は珍しいとされる。

日本にとっての意味

積み荷の器の種類から産地の窯を特定し、年代を割り出すという読み方は、日本の水中遺跡でも同じ形で使われてきた。鹿児島県宇検村の倉木崎海底遺跡では、中国・浙江省の龍泉窯系と福建省の同安窯系の青磁・白磁が確認され、器の様式から12世紀後半〜13世紀前半という年代が導かれている。

一方、長崎県松浦市の鷹島海底遺跡で2024年に3隻目と特定された沈没船では、船底から「至元十二年」(1275年)と記された木の板が見つかり、2026年4月に公表された。積み荷ではなく船自体に残された文字から、乗員向けの掲示物だった可能性が指摘されている。積み荷を読むか、船に残る文字を読むか。手がかりの置き場所は違うが、沈んだ物そのものから来歴を割り出す発想は共通している。