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アレクサンドリア沖で灯台を刻んだ印章指輪、年代は謎のまま

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エジプト・アレクサンドリア沖の水中発掘で、アレクサンドリアの大灯台(ファロスの大灯台)を描いた印章指輪(押印用の指輪)が見つかった。灯台を刻んだ指輪としては現時点で唯一の例という。指輪自体の年代は分かっておらず、その価値は出土状況から年代を特定できるかどうかにかかっている。

何が起きたのか

欧州水中考古学研究所(IEASM)がフランク・ゴディオ氏の指揮のもとアレクサンドリア沖で行った発掘で、青銅製の印章指輪が見つかった。発見場所は大港(ポルトゥス・マグヌス)の王宮地区にあった沈んだ島、アンティロドス島。

エジプト観光考古省は声明で、灯台の図像が印章指輪に刻まれて見つかったのは今回が初めてだとし、刻まれた図柄は紀元後2世紀の貨幣に残る灯台の図像と一致すると説明した。発掘では紀元前4世紀から紀元後4世紀にわたる陶器やガラス製品も見つかっている。

ゴディオ氏は声明で、この指輪が伝説的な王宮のあったアンティロドス島で出土したことの意味を強調した。王宮には行政機能を担う部屋があり、その中に灯台の管理に関わる部署も含まれていたとの見方を示している。

一方、この遺跡を何度も訪れているブリティッシュコロンビア大学の考古学者ヘクター・ウィリアムズ氏は、指輪の図柄は、テラコッタ製のランプやモザイクに残る灯台とみられる表現と一致すると評価する。ただし「どこで見つかったか、年代を特定できる状況で出土したのかについて詳しい報告が出るまで、その重要性の全体像は分からない」と述べ、慎重な見方を示した。

背景

アレクサンドリアの大灯台は古代世界の七不思議の一つに数えられる建造物で、プトレマイオス朝期に築かれたとされる。14世紀に地震で崩壊し、1477年にはその廃材を使って要塞が築かれた。建物そのものが失われているため、灯台の姿は、貨幣やランプ、モザイクのように灯台のためではなく別の目的で作られた小さな図像を互いに照合することで推定されてきた。

印章指輪は粘土や蝋に押し付けて封印や署名の代わりに使う道具で、持ち主の権限や所属を示す役割を持つとされる。灯台を刻んだ指輪が行政を担う役人の持ち物だったという読み方は自然に思えるが、持ち主を特定する手がかりは示されていない。

アンティロドス島の遺跡からは数百年にわたる時代の遺物が出土しており、一つの遺物だけでは年代を絞り込みにくい。

日本にとっての意味

アレクサンドリアの灯台は、肝心の建物も出土状況による年代の裏付けもまだない。日本の安土城天主も同様に本体は焼失し、その外観を描いた同時代で唯一の絵画資料『安土山図屏風』は織田信長が巡察使ヴァリニャーノに贈り、天正遣欧使節に託されてローマ教皇に贈られた後、バチカン宮殿の地図の画廊に掲げられたのを最後に所在不明となっている。

滋賀県はこの屏風について6言語で情報提供を呼びかけつつ、図像に頼らない手がかりも積み重ねている。令和7年度の発掘調査では天主石段の前に並ぶ石列と建物の礎石が見つかり、礎石はすべて熱を受けて赤化し割れていた。これは本能寺の変後の焼失を物語る遺構とみられる。

図像はあるが年代の裏付けを待つアレクサンドリア、図像を失ったまま焼けた遺構が時期を語る安土。築城450年にあたる2026年、滋賀県はこの地道な積み重ねを事業として続けている。