オーストリア大統領選、羽飾り返還公約が映す二つの壁
オーストリアでエコノミストのグンター・フェーリンガー=ヤーン氏が、ウィーンのヴェルトムゼーウムが所蔵するアステカの羽飾り「ペナチョ」をメキシコへ返還すると公約した。2028年の大統領選への出馬を目指す無所属候補で、立候補自体はまだ確定していない。オーストリアの政治家がこの羽飾りを返還政策として取り上げるのは初めてとみられる。
ただしこの公約には二つの関門がある。羽飾り自体の脆さと、大統領という地位の権限の限界である。
何が起きたのか
羽飾りは16世紀のアステカ王モクテスマにまつわる品とされ、高さ1.3メートル、幅1.75メートルの羽毛製品。現存する唯一の例といわれる。フェーリンガー=ヤーン氏はThe Art Newspaperに「オーストリアとメキシコは対立ではなく友好に基づく二国間の解決を交渉すべきだ」と述べ、最終的な所有権はメキシコに帰属すべきだと語った。
同氏は、移動が安全でないなら所有権だけを先に移し、専門家が共同で保存・管理の取り決めを作ればよいという代案も示した。
文化財返還を研究するピエール・ロッソン氏は、選挙の文脈でこうした立場を取るのはまれだと評し、「大統領に当選しても、返還を単独で決めることはできない」と指摘する。オーストリアには植民地期の収蔵品の返還を可能にする新法が準備されているが、まだ成立していない。
背景
羽飾りがヨーロッパに渡った経緯は定かでない。モクテスマがスペインの征服者コルテスに贈ったとする説があり、コルテスが神聖ローマ皇帝カール5世へ送った品々に含まれていた可能性も指摘される。ただ専門家の間では、モクテスマ自身がこれを着用した記録はなく、その由来や人物との結びつきは後世に形づくられたものとの見方が強い。
記録に残る最初の言及は1596年、インスブルックのアンブラス城の目録で「ムーア風の帽子」と記されたものだとされる。19世紀に傷んだ状態で再発見され、メキシコ先住民の品と判明して修復を受けた。1888年にウィーン自然史博物館で公開され、のちにヴェルトムゼーウムに移った。
1860年代にはメキシコのハプスブルク系皇帝マクシミリアンが返還を求めたことがある。1980年代以降も交渉が続いてきた。この羽飾りは、ベナン・ブロンズやパルテノン神殿彫刻と並んで返還論争に繰り返し登場する品である。2026年7月にはシェインバウム政権が計3,716点の文化財を回収したと発表した。
日本にとっての意味
この公約が抱える二つの関門、すなわち輸送の安全性と、元首ひとりでは決められない権限の限界は、日本が経験した文化財引渡しの工程と対応関係にある。2010年8月に閣議決定された首相談話が朝鮮半島由来の図書の引渡しを表明したが、現物は動かなかった。実際に動いたのは、日韓図書協定の署名を経て国会承認を得て発効した後である。表明から発効までは約10か月で、国会の2会期をまたいだ。
輸送の壁についても、日本には同じ論理を定めた規定がある。文化庁長官裁定の要項は、重要文化財等の公開のための移動を原則として年2回以内、公開日数を延べ60日以内としつつ、材質が極めて脆弱なものや寸法が特に大きいものはこの原則によらず、公開を避けなければならないものがあるとしている。オーストリア側が羽飾りの貸出しを断った理由と同じ発想だが、日本ではそれが制度上のルールとして文書化されている点が異なるとみられる。