ザハ・ハディドが30年以上拠点にした旧校舎、財団が建築とデザインの公共施設に 没後10年の11月に開館
建築家ザハ・ハディドが設立したザハ・ハディド財団は、ロンドン・クラーケンウェルにある旧事務所の建物を、誰でも入れる建築とデザインの施設として開く。建物はヴィクトリア朝の旧校舎で、英国の登録建造物の等級「グレードII」に指定されている。ハディドの事務所は30年以上ここを本拠にしていた。開館は2026年11月の予定である。
何が起きたのか
改装したのは1階で、設計は建築事務所スタジオKAが担った。内部の仕切りを取り払って行き来しやすくし、ふさがれていた暖炉や出入り口を元に戻した。ハディドが付けたZ字形のドアの取っ手は残した。
開館の催しとして、ハディドの没後10年に合わせ、英国の建築学校AAスクールとサーペンタイン・ギャラリーと共同で2日間のシンポジウムを開く。所蔵品による展示では、ハディドと事務所が手がけた舞台美術を取り上げる。財団の依頼で、ロンドンの作家ライオンハートが11分の映像作品をつくり、ピュリツァー賞を受けたイラストレーターのモナ・チャラビ氏が、ハディドの生涯と仕事をたどる年表を描いた。
館内には展示室のほか、学びの場と講堂もある。今後も展示やトーク、ワークショップ、作家の滞在制作に使う。財団のアリック・チェン館長は「ザハの遺産は、アーカイブにもとづく私たちの企画や展示と、いまの建築文化に積極的に関わりながら受け継ぐ彼女の前向きな精神の両方を通じて、ここで生き続ける」と述べた。
背景
財団は2013年にハディド自身が設立し、ハディドは2016年に亡くなった。財団は今回、ロゴなどの見た目も一新した。アムステルダムのデザイン事務所エクスペリメンタル・ジェットセットが手がけ、ウェブサイトも新しくする。
ハディドの名を冠した事務所は、財団との法廷での争いが決着したあと、2026年に代表のパトリック・シューマッハー氏が名前を「ZHA」に改めている。
日本にとっての意味
2012年11月、新国立競技場のデザイン競技で最優秀賞に選ばれたのがハディド案だった。文部科学省の検証委員会の報告書によると、競技は工事費1300億円を目安に募集され、翌年にはこの案を盛り込んだ東京都の招致ファイルが国際オリンピック委員会に出された。
ところが設計が進むにつれ、工事費の見込みは膨らんだ。2015年7月7日に2520億円の設計概要が了承されたものの批判が強まり、10日後の7月17日に計画は白紙に戻った。検証委員会は、工事費が当初の想定より大きくなったことで国民の支持を得られなくなったとまとめている。
競技場は建たなかったが、日本ではこの計画を通じて、ハディドの名が広く知られることになった。