地震で損壊のマントヴァ・ドゥカーレ宮殿、14年の修復がほぼ完了
2012年の地震で被災したイタリア・マントヴァのドゥカーレ宮殿で、14年がかりの修復が完了に近づいている。被害の修理に加えて耐震補強も進められ、これまでほとんど公開されていなかった空間が初めて常時公開の対象に加わった。館長は復旧にかかった費用を入館者の増加で回収したいとしている。
何が起きたのか
13世紀に起源を持ち、ゴンザーガ家が増築を重ねたマントヴァのドゥカーレ宮殿は、35,000平方メートル・約1,000室を抱える複合建築である。2012年春、イタリア北部エミリア・ロマーニャ地方を震源とする2度の強い地震で大きな被害を受けた。宮廷礼拝堂バシリカ・パラティーナ・ディ・サンタ・バルバラの鐘楼は倒壊寸前となり、宮廷画家アンドレア・マンテーニャが手がけた壁画の間「カメラ・ピクタ」には主要場面を貫く亀裂が入った。鐘楼とカメラ・ピクタは2016年末までに修理された。
館長ステファノ・ロッカーゾ氏は、この修復を単に元に戻すだけでなく、宮殿を活気づける機会として使ってきた。現地の2026年に入り、地震のはるか前から風雨にさらされていた南西塔は耐震仕様の床が新設され、初めて常時公開された。グリエルモ・ゴンザーガ公が一族の軍事的功績を称えて作らせたアパルタメント・グランデ・ディ・カステロも、天井の修復と壁・床の補強を経て現地の2026年7月に再公開された。
現地の2026年9月には、17世紀の庭園「ジャルディーノ・デイ・センプリチ」に面する回廊が補強を終えて再開し、庭園を見下ろせる上階の通路に初めて立ち入れるようになった。現地の2026年末までにはフランチェスコ2世ゴンザーガと妻イザベッラ・デステに由来する「サーラ・デッレ・シーグレ(頭文字の間)」も再公開の予定である。ロッカーゾ氏は地震関連の修理と耐震対策に約1,500万ユーロを費やしたとみており、入館者増での回収を期待する一方、開く扉が増えすぎて来館者が行き先に迷うことを懸念しているという。
背景
ゴンザーガ家の宮廷として栄えたこの宮殿では、1620年代末に一族の美術コレクションが売却・分散し、調度の多くも失われた。それでも建物の構造や内装の多くは現存しており、ミラノやフェラーラ、ボローニャ、ナポリの同時代の宮殿が失われたり大きく姿を変えたりしたのに比べ、複数の時代の増改築がそのまま残る点で特異とされる。
ゴンザーガ家の統治が終わった18世紀初め以降、この宮殿はハプスブルク家の居館や政治犯の収容施設としても使われた。19世紀末に美術館として開館し、1960年代以降に文化施設としての整備が進み、2008年にはマントヴァの旧市街とともにユネスコ世界遺産に登録された。
日本にとっての意味
熊本城の復旧では、公開範囲の考え方がマントヴァとは逆になっている。熊本市の復旧基本計画は「展示型復旧」を掲げ、2020年6月から特別史跡の主要区域に設けた特別見学通路を公開し、被災状況と復旧工事そのものを見せてきた。ただしこの通路は復旧完了までの期間限定で、計画26〜35年目(2043〜2052年度)に撤去される前提である。マントヴァが修復後の空間を常時公開に加えるのに対し、熊本は見せる工程を復旧の途中だけに置き、終われば通路を撤去する設計である。