アート・カルチャー

テッサロニキのハムザ・ベイ・モスク、20年がかりの修復終え文化施設に

ギリシャ の記事一覧 ・ ヨーロッパ

ギリシャ北部の都市テッサロニキで、15世紀に建てられたハムザ・ベイ・モスクが約20年に及ぶ保存修復を終え、現地時間2026年10月10日に落成式が行われ、翌11日から美術展示・文化施設として一般公開が始まった。かつて映画館「アルカザール」として使われていたことで知られる建物で、宗教施設ではなく、公共施設として生まれ変わった。

何が起きたのか

再開後の施設は、テッサロニキ視覚芸術博物館機構(MOMus)が運営し、一部の判断はテッサロニキ市古美術品監督局と共同で行う。展示空間と文化センターを兼ね、歴史や文化遺産をテーマにした催しも開く。開館展は、テッサロニキ出身の写真家ペテ・マリフォグルが1960年から80年にかけての都市の変容を記録した写真展だ。MOMus理事長は、建物の修復は「テッサロニキがオスマン期を多文化の歴史に不可欠な一部として示す用意ができたことを示している」と述べた。

このモスクは1467年、オスマン帝国の提督ハムザ・ベイの娘の依頼で建てられた。約1世紀後の増築で、バルカン地域のモスクとしては建築的に異例とされる、ポーチ(前廊)や尖塔、方形の中庭を備えた姿になった。火災や地震で被害を受けて1620年に再建され、神学校(マドラサ)も付設された。

1923年のギリシャとトルコの住民交換で、モスクとしての役割を終えた建物はギリシャ国立銀行の所有となり、一時は兵舎として使われたのち1926年に保護記念物に指定された。その後数十年にわたり映画館として使われ、第二次大戦中のナチス占領下では、建物を所有していたユダヤ系の実業家が市郊外のSSの収容所へ送られた。実業家の遺族は1977年に建物を赤十字に寄贈した。建物は2006年にギリシャ文化省の保護下に入った。構造補強工事は2007年に始まり、欧州復興基金の支援を受けた2024年から2026年の最終段階の工事で、内外装の保存修復が完了した。

背景

1923年のギリシャ・トルコ住民交換は、宗教を基準に大規模な強制移住が行われた出来事で、両国間の条約に基づきギリシャ側のムスリムとトルコ側の正教徒がそれぞれの国を離れた。この交換により、ギリシャ各地に残されたモスクの多くは信徒を失い、礼拝の場としての役目を終えたとみられる。

ハムザ・ベイ・モスクは、取り壊されずに残った点で、同様の経緯をたどった建物の中でも比較的恵まれた例とみられる。

日本にとっての意味

信徒がいなくなった礼拝堂が、保存修理を終え、礼拝の場ではなく見学・展示施設として再公開される流れは、長崎県小値賀町の旧野首教会にも当てはまる。1908年に鉄川与助が設計施工した煉瓦造の教会堂で、1971年に最後の6世帯が離島して廃堂となったのち、1989年に長崎県指定有形文化財となった。所有者の小値賀町は保存修理工事を2023年11月から行い、工期を延長したうえで2025年11月に竣工させ、2025年12月1日から内部公開を再開した。

同じ五島列島の旧五輪教会堂(五島市)も、1985年に信徒が新しい教会堂へ移った後に福江市(現五島市)へ寄贈され、市が「ミサは行われていません」と明記したうえで一般公開している。宗教を基準にした住民交換と、離島の無人化という原因の違いはあるが、信徒を失った礼拝所が保存修理を経て公開施設に転じる構図は共通している。