あべのハルカスの外装デザインで知られるセサル・ペリ、最後の作品はアルゼンチンの美術館
米国の建築設計事務所ペリ・クラーク・アンド・パートナーズ(Pelli Clarke & Partners)が設計した美術館「ローラ・モラ文化センター」が、アルゼンチン北西部フフイ州の州都サンサルバドール・デ・フフイに完成した。100年以上屋外にさらされてきた彫刻家ローラ・モラの記念碑的な大理石彫刻6点を、初めて屋根の下に収めるための建物だ。デザイン誌Dezeenは、これを2019年に死去した創設者セサル・ペリが率いた最後のプロジェクトと伝えている。
何が起きたのか
建物は郊外の住宅開発地の外れ、亜熱帯の森に覆われた丘の斜面に建つ。発注したのはフフイ州政府だ。主棟は上から見ると涙滴形で、敷地の中央に入り込む渓谷を未来的なデザインの橋で渡り、細長い入口から広いギャラリーへと至る構成になっている。ギャラリーは床から天井までのガラス張りで、モラの彫刻6点はこのガラス沿いに並び、その向こうに森と山と川を望む。ギャラリー中央には濃く染色した木のルーバーで覆われた内部構造が設けられ、光を絞った空間で小品や人工照明を使う作品を展示する。天井には背後から光るオクルス(円形開口)がある。主棟の周囲には地元産の石を張った円形の棟が3つ配置され、レストラン、図書室、ギフトショップが入る。
事務所はこの建物の環境性能も打ち出している。全棟の屋根に載せた太陽光パネルを中心に、敷地中央の塔に組み込んだ風力タービンも合わせて、使用電力の100%を敷地内で発電すると説明しており、雨水利用や地元産石材の調達も含め、エネルギー収支ゼロで運用されるとしている。この塔は「文化センターの存在を遠くからでも知らせる」目印でもあるという。
セサル・ペリの息子で事務所パートナーのラファエル・ペリ氏はDezeenに対し「セサル・ペリ最後のプロジェクトの一つであるローラ・モラ文化センターの開館は、事務所にとっても私の家族にとっても、職業上の、そして個人的な栄誉だ」と述べ、「アルゼンチン北西部生まれの父は、若い頃からローラ・モラの作品を敬愛していた。その遺産をたたえ受け継ぐ空間を、心から大切に思う土地に作れたことは、まさに特権だ」と語った。世界中で設計を手がけてきた同事務所にとって、母国アルゼンチンでの文化施設はこれが初めてだという。
背景
ローラ・モラ(1866〜1936)はトゥクマン州生まれのアルゼンチンの彫刻家で、イタリアで彫刻を学び、女性がこの分野でほとんど活動していなかった時代に国家的な仕事を勝ち取った先駆者として知られる。今回収蔵された6点の寓意彫刻(ライオン、自由、進歩、労働、平和、正義)はカッラーラ大理石の作品で、1906年、ブエノスアイレスの国会議事堂のために制作された。しかし約15年後に議事堂から撤去されてフフイ州に寄贈され、以来1世紀以上、屋外で風雨にさらされ続けてきた。今回の美術館は、この彫刻群をようやく保存環境に移すと同時に、モラの再評価を建築の形で示す施設といえる。
セサル・ペリも1926年にアルゼンチン北西部のトゥクマンで生まれた。米国に渡り、マレーシアのペトロナス・ツインタワーをはじめ世界各地の超高層ビルや文化施設を手がけた20世紀を代表する建築家の一人だ。北西部生まれの彫刻家の遺産を、同じ北西部生まれの建築家が最後の仕事で受け止めるという組み合わせが、この計画の核になっている。敷地の造園は、ペリの亡き妻ダイアナ・バルモリが創設した事務所Balmori Associatesが担当した。
日本にとっての意味
セサル・ペリは日本に多くの実作を残した建築家でもある。大阪では、日本で2番目に高いビル「あべのハルカス」のデザインアーキテクトを務めたほか、中之島の国立国際美術館(2004年開館)も同氏の設計だ。展示室をすべて地下に沈め、地上には竹の生命力をイメージした金属の造形だけを立てた中之島と、森の斜面に翼を広げるフフイ。都心の限られた敷地と丘陵地という条件の違いはあるが、どちらも「収蔵品と場所の条件から建物の形を導く」というペリの設計姿勢を示す美術館であり、日本の読者は片方を実際に歩いて確かめることができる。
もう一つの接点は「遺作」だ。東京の麻布台ヒルズ森JPタワー(高さ約325メートル、日本一の超高層ビル)もペリがデザインを手がけ、死去から4年後の2023年に竣工した。ペリの晩年の仕事は、東京では国内最高層のタワー、故郷アルゼンチンでは彫刻6点のための小さな美術館として、死後に相次いで形になったことになる。あべのハルカスや麻布台ヒルズを見上げたことのある読者にとって、フフイの丘に完成したこの美術館は、同じ建築家の物語の最終章にあたる。