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トルコ石装飾の人骨、オランダから返還 メキシコ先住民の博物館へ

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メキシコ南部の先住民ミシュテカにゆかりのある人骨が、長年展示されてきたオランダの博物館から本国へ返還され、地域コミュニティが運営する博物館での展示に向けて動き出した。返還そのものは2025年5月に実現しており、今回明らかになったのは、その後の展示先を巡る具体的な計画だ。トルコ石や貝、ヒスイ、水晶で精巧なモザイク装飾が施されたこの頭蓋骨は、真正性を巡る議論よりも、先住民コミュニティの記憶を取り戻す運動として注目されている。

何が起きたのか

この頭蓋骨は、オランダ・ライデンのヴェレルト博物館(Wereldmuseum)が中南米展示室で60年余りにわたり公開してきたものだ。2025年5月、オランダ側からメキシコの国立人類学歴史研究所(INAH)に引き渡された。INAHは現在、地元オアハカ州ビジャ・デ・トゥトゥテペクの「ユク・サア共同体博物館」(Yucu Saa)での展示を最終目標としつつ、まずはオアハカ文化博物館(Museo de las Culturas de Oaxaca)で公開する方針を示している。ユク・サア博物館での展示は、警備や展示環境が整い次第、2027年4月を予定しているという。分析によれば、頭蓋骨の骨自体はメキシコ南部出身の35歳から49歳の男性のもので、ミシュテカとの関連が有力視される古いものだが、装飾に使われた接着剤の99%は現代のものと判明している。つまり、古い骨と古いモザイク素材を、比較的新しい時代に組み合わせて作られた品とみられる。同種の頭蓋骨は10例ほど知られているが、実際の発掘現場で見つかったと確認できるのは1930年代にモンテ・アルバンの7号墓から出土した1点だけだ。

背景

この頭蓋骨は1964年、当時のヴェレルト博物館長ピーター・ヘンドリック・ポット氏が、米国の骨董商ロバート・ストルパー氏から入手したもので、いつどこで発見されたかを示す来歴の記録は残っていなかった。真正性への疑問から2011年と2012年に科学分析が行われ、2013年に考古学者マーティン・ベルガー氏の論文として発表された経緯がある。返還のきっかけを作ったのは、メキシコ人アーティストのダニエル・アギラル・ルバルカバ氏だ。同氏は2022年、アムステルダムのライクスアカデミー(Rijksakademie、美術家の滞在制作施設)での滞在中にこの頭蓋骨の存在を知り、ミシュテカの言語や文化、権利の保護を掲げて2020年に設立された団体「ンチビ・ニュウ・サビ」(Nchivi Ñuu Savi)と協力して返還運動を始めた。もっとも、実際に返還を実現させたのは、2023年にメキシコ政府がオランダ側に行った別ルートでの正式な返還要請であり、これは2024年12月にオランダ当局によって承認されている。アギラル氏は、自分たちの運動が顧みられず、当局の回答に1年以上かかったと訴えており、これに反発したトゥトゥテペクの住民1,020人が、頭蓋骨を地元の共同体博物館で展示するようINAHに求める請願を行った。メキシコの文化相クラウディア・クリエル氏は後になって同団体の貢献を公式に認めている。ンチビ・ニュウ・サビの代表者は、「これは歴史的正義と尊厳の行為だ」と述べ、来歴記録の欠如自体が過去の暴力の結果だと指摘する。ユク・サア博物館館長ラウル・ロペス・ニコラス氏も、「これは、こうした遺物は大きな国立博物館でしか展示できないという中央集権的な考え方を覆すものだ」と話している。

日本にとっての意味

この事例が示すのは、返還が実現した後も「誰が、どこで祖先の遺骨を管理するか」を巡る交渉がなお続くという点だ。国の機関と地域コミュニティのどちらが遺骨を保管し展示するにふさわしいかという問いは、日本でも無縁ではない。日本では、大学などの研究機関が保管してきたアイヌの人々の遺骨について、2018年に文部科学省が定めたガイドラインに基づき出土地域への返還(地域返還)が進められており、返還先が特定できない遺骨は北海道白老町のウポポイ(民族共生象徴空間)内の慰霊施設に集約されている。中央の施設への集約か地域への返還かという、ミシュテカの事例と同種の論点が日本でも現実に問われている。またこの頭蓋骨が1964年にオランダの博物館長が米国の業者から来歴記録なしに入手したものだったという経緯も見逃せない。ミシュテカの事例のように、市民の側から始まった運動が政府間交渉と絡み合いながらも最終的に地域コミュニティの手に遺産を取り戻す道筋をつけたことは、日本国内で今後同様の議論が起きた際の参考になりうる。