月面の遺跡、守るルールなし 考古学が示す宇宙移住への教訓
月面に残るアポロ計画時代の探査機や着陸地点を保護する国際的なルールが、事実上存在しないことが専門誌の論文で改めて指摘された。同じ学術誌では、太古の人類が離島に移り住んだ経緯から将来の宇宙移住の教訓を引き出す研究も発表され、月や火星への進出が現実味を帯びる中、過去の遺産をどう残すかが課題として浮かび上がっている。
何が起きたのか
1969年11月19日、アポロ12号が月に着陸した際、着陸船の噴射で舞い上がった月の砂が155メートル離れた1967年打ち上げの無人探査機「サーベイヤー3号」にたたきつけられ、機体の表面に無数の穴を残した。この出来事は、着陸時の噴射がいかに遠くまで、しかも高速で砂を飛ばすかを示す事例として知られている。これを受けてNASAは2011年、月面にある米国の遺産的な探査機や着陸船を守るための指針を公表し、着陸機は過去の史跡から2キロの立ち入り禁止区域を確保するよう推奨した。ニール・アームストロング船長が「人類にとって大きな飛躍」と述べたアポロ11号の着陸地点も、この対象に含まれる。ただし専門家によれば、この2キロという距離はあくまで暫定値で、今後の研究で見直される前提だったといい、実際に安全とされる距離はもっと遠い可能性があるという。
スミソニアン国立航空宇宙博物館のティーゼル・ミュア=ハーモニー氏とコロラド大学のトッド・モシャー氏が学術誌アクタ・アストロノーティカに発表した論文は、「現在、月面の史跡や将来の遺跡に適用される国際的な文化遺産法は存在しない」と述べている。1967年の宇宙条約(118カ国が加盟する国連条約)は、各国が打ち上げた探査機などの所有権は保護するが、文化遺産についてはほとんど触れていない。2020年以降、米国の連邦機関から月面活動の許可を得る申請者はNASAの2011年指針に従うことが法的に義務づけられたが、米国と関わりのない主体には適用されない。NASA主導の国際的な枠組み「アルテミス合意」には67カ国が署名し、第9条で宇宙遺産の保護を掲げているものの、法的拘束力はない。
背景
月面の文化遺産をめぐる法整備の遅れは、宇宙開発が国家主導から民間・多国間参加へと広がる中で顕在化してきた問題とみられる。2026年4月に実施された有人月周回「アルテミス2号」ミッションは、1972年以来となる人類の月への到達で、月面基地の建設や将来の火星有人探査に向けた長期計画の一環と位置づけられている。今後10年間で月には少なくとも100回のミッションが送り込まれる見通しといい、着陸のたびに過去の遺構が損傷を受ける危険が増すことになる。
一方で、宇宙にある遺産は月だけではないことを示す研究もある。イタリアの独立研究者ルカ・フォラッシエピ氏らが学術誌ジオアーキオロジーで発表した研究によれば、1965年から1985年にかけて金星に送られた探査機は、これまで金星の過酷な環境で消滅したと考えられてきたが、変形した状態で今も残っている可能性があるという。またトーマス・レパード氏(米国際考古学研究所)らはアクタ・アストロノーティカ誌で、太古の人類が離島への定住に成功・失敗した経緯を分析し、将来の宇宙移住への教訓を導き出した。出発地に近く、大きな目標地であること、周辺に天体が多いこと、そして入植の開始時点で少なくとも1000人規模の集団であることが、成功の条件として挙げられている。この基準に照らすと、火星や木星の衛星は有望な移住先とされ、太陽系の外では地球から11.98光年離れた恒星GJ1061を周回する3つの惑星も候補になりうるという。
日本にとっての意味
日本はアルテミス合意の署名国であり、宇宙関連企業ispaceも月面着陸に挑戦してきた。月面の史跡保護をめぐる国際ルールが整わないまま多国籍・民間の着陸ミッションが増えていけば、日本の宇宙機関や企業が計画する着陸地点の選定や着陸方式そのものが、将来的に国際的な遺産保護の基準に左右される可能性がある。現時点でアルテミス合意の第9条は法的拘束力を持たないため、各国・各企業の自主的な配慮に委ねられているのが実情だ。また、今回の研究は、遺産保護の議論が地球や月にとどまらず、金星や太陽系外の惑星にまで広がりつつあることを示しており、日本の宇宙探査計画が今後どの範囲まで責任を負うべきかを考える材料にもなる。