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170年の歴史刻むホテル、非営利団体が買収し保存へ アラバマ州セルマ

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米アラバマ州セルマの中心部に1855年から建つエディストーンホテルが、荒廃したまま解体の危機にあったところを、土地の取得と保全を専門とする非営利団体コンサベーション・ファンド(Conservation Fund)に買収された。2025年秋に発表されたこの買収により、建物は同団体の「レガシー・プレイセズ・イニシアチブ(Legacy Places Initiative)」の対象となった。

何が起きたのか

エディストーンホテルは3階建てのレンガ造りで、窓は板でふさがれ長年放置されてきた。20世紀後半、セルマの産業衰退と人口減少とともにホテルとしては閉鎖された。建物には1990年代まで店舗が入っていたが、最後の入居者だった理髪店が屋根の雨漏りが危険な状態になったとして退去し、以降は使われていない。2022年にはアラバマ歴史委員会などが作成する「危機に瀕した史跡(Places in Peril)」リストにも掲載されていた。

コンサベーション・ファンドは、危機にある史跡を将来の担い手に引き継ぐまでの「所有権の橋渡し役」を担う。レガシー・プレイセズ・イニシアチブのディレクター、フィリップ・ハワード氏は「われわれは長期的な所有者ではない」と述べ、所有している間に建物を安定させ、その後の設計や活用方法は将来の管理者が決めることになると説明した。いわば患者を診るトリアージのようなもので、劣化と悪影響をまず止められないか見極めている段階だという。同団体は2026年、2023年の竜巻で生じたがれきの撤去に着手した。今後もがれきの撤去や建物の安定化、記録作業を進める予定で、セルマ市やボストンの建築事務所マス(Mass)と再生計画を検討している。

背景

エディストーンホテルが建つ土地は、かつて奴隷の競売に使われていた。南北戦争後には、解放された黒人を支援する連邦機関フリードマンズ・ビューロー(Freedmen’s Bureau)の事務所が置かれ、1870年代には人種を問わず宿泊できる施設として運営された。20世紀に入ってからは公民権運動の拠点となったセルマで、デモ参加者の宿泊先としても使われた。ホテルがあるウォーター・アベニューは、1965年3月7日に投票権を求める行進の参加者が法執行機関に襲われた「血の日曜日事件」の舞台、エドマンド・ペタス橋から数ブロックの距離にある。この事件はのちの投票権法制定を後押しした。同団体は行進の到着地モンゴメリーでも、同様に黒人旅行者や公民権運動家の宿泊先だったベン・ムーア・ホテルを取得している。

全米歴史保存基金の関連組織が2020年に発表した報告書では、歴史的に黒人が多く住んだ地区が、史跡地区や国家史跡登録(National Register of Historic Places)への登録において全米的に著しく少ないと指摘されている。ハワード氏は、アラバマやミシシッピ、あるいはアトランタやシカゴのような場所に行けば荒廃し危機に瀕した黒人史の遺産が見つかるとしたうえで「時間との闘いだ」と述べ、建物だけでなく、血の日曜日事件やフリーダム・ライドに実際に立ち会った当事者たちの証言が失われつつあることへの危機感を語った。トランプ政権が2025年3月に出した、米国と西洋の価値観を「本質的に有害で抑圧的」なものとして描く展示物を問題視する大統領令の後、フィラデルフィアの史跡で奴隷制に関する解説板が撤去される事例も起きており、公的な歴史記述の後退を懸念する声もある(この撤去については裁判所が復元を命じている)。

日本にとっての意味

170年前の建物を非営利団体が買い取り、市や建築家と協働しながら段階的に再生させるという手法は、日本の空き家問題や近代建築の保存論議にも重なる視点を提供する。日本でも、文化財としての指定や登録による保護の枠外にある歴史的建造物が、老朽化のすえ解体に至る例は少なくないと指摘されてきた。エディストーンの事例は、専門団体が「所有権の橋渡し役」として一時的に建物を保有し、劣化を止めたうえで最終的な活用主体に引き継ぐという中間的な仕組みが機能し得ることを示している。また、この記事が伝えるのは単一の建物の話だが、その背景には「誰の歴史を残すか」という選別の力学がある。日本でも近代化遺産や戦争関連施設の保存・解体をめぐって、どの記憶を公式な歴史として残すかという議論は繰り返されてきた。