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ボリビア随一の博物館、ポトシ造幣局が5年がかりの修復へ

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ボリビア南部の都市ポトシにある国立造幣博物館(Casa Nacional de Moneda)で、現地の9月から5年がかりの大規模修復が始まる。まずは老朽化した屋根の修復に着手し、その後、建物の石造部分の補修に移る計画だ。この博物館はボリビアで最も来館者が多い施設として知られ、銀製品や貨幣鋳造機、植民地時代の宗教画を収蔵している。

何が起きたのか

国立造幣博物館は1759年から1773年にかけて、建築家サルバドール・デ・ビジャの設計で建てられたバロック様式の建物で、スペイン植民地時代からボリビア独立後にかけて実際に造幣局として使われてきた。館長のダニエル・オロペサ・アルバ氏は英文化芸術メディアThe Art Newspaperの取材に対し、「この建物は18世紀の産業建築の宝石だ」と述べ、石、木材、鉄、タイルで築かれた要塞のような構造を持つこの施設を「ボリビアの文化の中心」だと表現した。

修復はまず、過去10年間の維持管理不足で約6割が危険な状態にあるという屋根から始まる。屋根の修復費用は約51万3000ドルで、米州開発銀行(Inter-American Development Bank)が資金を拠出し、3178平方メートル分の修復を目指す。工期は150日を見込んでおり、その間も博物館は開館を続ける予定だ。建物の残りの部分の修復費用はボリビア中央銀行が負担し、全体の修復には5年かかる見通しという。博物館は市街地の2区画分を占め、延べ床面積は1万5000平方メートル、壁の大半は厚さ1メートルを超える。最初の大規模修復は1940年から1973年にかけて行われている。

背景

ポトシは、セロ・リコ(「豊かな山」の意)の麓、標高4000メートルに位置する都市だ。1545年に発見されたこの鉱山からは、際立って純度の高い銀が産出され、スペイン帝国の財政を支える一大産地となった。1625年時点で人口16万人を数え、当時世界でも有数の豊かで人口の多い都市だったとされる。ここで鋳造されたスペイン銀貨(レアル・デ・ア・オチョ)は中国やインドにまで流通し、19世紀まで世界初の基軸通貨としての地位を保ったとされる。その名声は、セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』にポトシが登場するほどだったという。

銀はチリ領となった現在のアリカ港からペルーのエル・カヤオ港へ、さらにパナマを経てスペインのセビリアへと運ばれた。鉱山では当初、先住民が採掘に従事し、やがてアフリカから連れてこられた奴隷も労働力として投入された。溶解炉は24時間休みなく稼働し、労働者は最長20時間に及ぶ交代制のもと、事実上、造幣局の建物内で生活していたという。ボリビアの元文化・民俗担当副大臣アンドレス・サラッティ氏は、この博物館が奴隷制や先住民との関わりといったボリビアの歴史の諸段階を映し出す場だと語っている。ポトシは16世紀に「帝都」と呼ばれるようになり、1987年にはユネスコの世界遺産に登録された。

日本にとっての意味

ポトシの銀山は、日本の石見銀山(島根県)や佐渡金山(新潟県)と並び、近世の世界的な貴金属交易を支えた鉱山の一つに数えられる。石見銀山で採掘された銀も、東アジアの貿易ネットワークを通じて世界の銀経済に組み込まれたとされ、両者はユーラシア大陸を挟んで対照的な位置から、同じ時代の世界的な銀の流通を支えていたことになる。日本ではこうした鉱山遺産の保存や公開のあり方が、観光振興や地域文化の継承と結びつけて議論されることが多く、ポトシの博物館が来館者を受け入れながら5年がかりの修復を進めるという手法は、稼働中の文化財をどう維持していくかという点で参照しうる事例といえる。

また、この博物館が伝えるのは単なる貨幣史ではなく、先住民労働や奴隷制といった鉱山開発の負の側面も含めた記憶だ。日本の鉱山遺産でも、佐渡金山をめぐって朝鮮半島出身労働者の労働実態が国際的な議論の対象となってきたという指摘があり、鉱山遺産の保存が経済史の顕彰にとどまらず、労働の記憶をどう扱うかという課題を伴う点で、ポトシの事例は間接的ながら考える材料を提供する。日本の一般メディアがボリビアの地方都市の文化財修復を取り上げる機会はほとんどなく、その意味でも一度知っておく価値のある話題だ。