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豪州の古代岩絵の劣化、原因は過去の亜硫酸ガス汚染 研究チームが指摘

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西オーストラリア州の古代岩絵群「ムルジュガ」(Murujuga)の劣化について、研究チームが要因を調べた3年間の報告書を公表した。多くの損傷は現在の工場排出ではなく、数十年前に排出された亜硫酸ガス(二酸化硫黄)によるものである可能性が高いという。ムルジュガは2025年にユネスコ世界遺産に登録されたばかりで、隣接する工業地帯との関係が長年議論されてきた。

何が起きたのか

西オーストラリア州政府は、古代岩絵「ムルジュガ」の劣化原因を調べた3年間の研究をまとめた報告書を公表した。調査を担ったのはカーティン大学(Curtin University)の研究者と先住民コミュニティが共同で運営する「ムルジュガ岩絵モニタリング・プログラム」。ムルジュガはピルバラ地方のバラップ半島とダンピア諸島に広がり、推定100万点から200万点の岩絵(岩を彫って描いた絵、ペトログリフ〈petroglyph〉)が残る。制作したのはンガルダ・ンガルリ(Ngarda-Ngarli)の人々で、ヤブラーラ(Yaburara)、ンガルマ(Ngarluma)、インジバンジ(Yindjibarndi)、マルドゥヌエラ(Mardudhunera)、ウォン・グー・ト・オー(Wong-Goo-Tt-Oo)という5つの言語集団からなる。数万年にわたり彫り継がれてきたとされ、2025年にユネスコ世界遺産に登録された。

1960年代以降、この地域には肥料工場や液化天然ガス(LNG)プラントが集積し、工業地帯になった。周辺の岩の表面に細かい穴が増える現象(多孔化)が起きていることは以前から確認されており、工業地帯に近いほどその度合いが高い傾向も2025年の調査で示されていた。今回の報告書はデータを拡張して再検証し、この傾向を改めて確認した。ただし大気化学、雨水の酸性度、実験室での分析を突き合わせた結果、研究チームは、この劣化の主な原因は現在の排出ではなく、過去に排出された亜硫酸ガス(二酸化硫黄、SO2)である可能性が高いと指摘している。プログラムの主任科学者ベン・マリンズ(Ben Mullins)氏によれば、船の燃料に含まれる硫黄分は1970〜80年代以降に大きく減り、二酸化硫黄の排出量も急減した。調査期間中に酸性雨は観測されず、大気質もプログラムが定めた暫定基準の範囲内だったという。

背景

二酸化硫黄は工業活動に伴って排出される代表的な大気汚染物質で、大気中の酸素や水と反応すると硫酸になり、酸性雨の原因となる。硫酸が岩の表面に触れると、岩に含まれるマンガンや鉄の酸化物を溶かし、細かい穴を作る。ムルジュガの岩絵は、表面を叩いたりこすったりして下の明るい色の岩を露出させる技法で作られており、表面の劣化は絵そのものの消失につながりやすいとみられる。研究チームは、二酸化硫黄が岩の表面に生息する微生物と組み合わさって劣化を進めた可能性もあるとみている。

こうした調査の背景には、工業地帯の排出と岩絵の劣化の関係について、研究者や地元住民のあいだで長年疑問が持たれてきた経緯がある。工業活動をこの地域から全面的に撤退させるべきだという主張も一部にあるが、排出による影響という点では現在の科学的証拠はその主張を支持していない、と研究チームは述べている。ムルジュガ・アボリジナル・コーポレーション(Murujuga Aboriginal Corporation)の理事でンガルマの人々を代表するベリンダ・チャーンサイド(Belinda Churnside)氏は「伝統的な所有者・管理者として、ムルジュガを守るには文化的な知識と確かな科学の両方が必要だと分かっている」と述べている。研究チームはウェブ媒体The Conversationへの寄稿で「ムルジュガのような景観への損傷に単一の原因があることはまれだ」とも書いており、他の要因が今後も見つかる可能性を残している。プログラムの4年間の研究期間は終盤に入っており、最終年は長期的な監視・管理体制の土台づくりに充てられる。

日本にとっての意味

バラップ半島の工業地帯にはLNGプラントが立地しており、西オーストラリア州のピルバラ地方はオーストラリア産LNGの主要な産地の一つとされる。日本はオーストラリア産LNGの大口輸入国とされ、電力・ガス各社が長年にわたり買い手として関わってきた。むしろ注目したいのは、劣化の原因として名指しされたのが「現在の操業」ではなく「数十年前の亜硫酸ガス汚染」だったという点だ。日本自身も1960〜70年代に工場や発電所からの亜硫酸ガスによる大気汚染を経験し、排煙脱硫や燃料の低硫黄化を進めて排出を減らしてきた経緯がある。研究チームは、船の燃料の硫黄分が下がったことで二酸化硫黄の排出が急減したと説明している。この機序は、日本が通ってきた大気汚染対策の歴史とも重なる。世界遺産に登録されたばかりの地で、資源開発と文化財保護をどう両立させるかは、今後も一つの研究では決着しない論点として注視する価値がある。