ザンビア大統領再任式典、野党党首は反逆罪で拘束のまま
ザンビアのハカインデ・ヒチレマ大統領が現地時間9月1日、首都ルサカで2期目の就任式に臨んだ。現地の8月13日の大統領選で対立した野党候補は反逆罪の容疑で拘束されたままで、選挙戦から投開票後にかけて野党側への締め付けがあったとの指摘が相次ぎ、この国が誇ってきた民主的な統治への評価に影を落としている。
何が起きたのか
就任式にはUPNDを支持する赤い服の群衆数千人がルサカのスタジアムを埋め、アフリカ各国の首脳数名も出席した。ヒチレマ氏は演説で、1期目でやるべき厳しい改革は終えたとしたうえで、これからの5年は成長と機会、繁栄のためのものだと述べ、生活費の高騰という「課題」を認めつつ、安定化の段階から成長の段階へ移ると強調した。
公式集計によると、ヒチレマ氏は得票率60%で、対立候補で元州政府大臣のブライアン・ムンドゥビレ氏(38%)を退けた。しかしムンドゥビレ氏は投票翌日にあたる現地の8月14日、治安部隊が自宅を捜索したのを受けて身を隠していた。当局は「国家の安全を脅かす民兵組織」を摘発する作戦だったと説明したが、ムンドゥビレ氏の陣営はこれを強く否定している。この作戦では元閣僚1人が銃撃を受けて死亡し、陣営関係者11人が逮捕された。ムンドゥビレ氏と副大統領候補のマケビ・ズル氏は現地の8月27日に警察に自ら出頭し、その後反逆罪で起訴された。両氏とも容疑を否認している。
ヒチレマ氏は就任演説で「政治的な立場の違いは民主主義に不可避なものだが、権力の追求が国の平和や安定を犠牲にすることがあってはならない」と述べた。
背景
ザンビアは1964年に英国から独立して以来、南部アフリカの中では比較的安定した民主国家として知られ、政権の平和的な移行を重ねてきた歴史を持つ。ヒチレマ氏自身、2016年の大統領選で当時のエドガー・ルング大統領に敗れた後、大統領車列を止めなかったとして反逆罪で起訴され、厳重警備の刑務所に4カ月間収監された経緯がある。結局この容疑は取り下げられたが、今回の野党指導者への対応は、かつて自らが被った扱いと重なる構図として受け止められている。
ムンドゥビレ氏とズル氏は、ヒチレマ氏の宿敵だった故ルング氏が率いたパトリオティック・フロント(愛国戦線)にルーツを持つ人物とされる。ヒチレマ政権下では、2020年の債務不履行(デフォルト)からの立て直しに向けて市場重視の改革が進められ、インフレ率の低下や外貨準備の増加といった成果が上がり、死刑制度の廃止や初等・中等教育の無償化も実現した。一方で、こうした経済の好転が一般家庭の暮らしにはまだ及んでいないとの批判も根強い。世界銀行のデータによれば、ザンビアの人口約2200万人のうち7割超が1日3ドル未満で生活しているとされ、統計上の成長と生活実感の隔たりが今回の選挙戦の背景にあったとみられる。
日本にとっての意味
ザンビアはアフリカ第2位の銅生産国で、銅は同国の輸出収入の約7割を占める。銅は電気自動車や再生可能エネルギー関連の設備に欠かせない資源であり、日本は銅の原料を輸入に頼っているとされ、産出国の政情は調達先や価格を通じて製造業に跳ね返りうる。中国は同国の主要な投資国であり、最大の二国間債権国とされ、資源国をめぐる大国の影響力争いという文脈でも注目に値する。
それ以上に読者に伝えたいのは、選挙そのものは実施されて政権が続投したにもかかわらず、有力な対立候補が反逆罪の容疑で拘束されたまま新政権が発足したという事実だ。投票と政権移行という民主主義の外形は保たれても、その内実で野党指導者の身柄が拘束され続けるという状況は、選挙の実施だけでは民主主義の健全性を測れないことを示す一例といえる。かつて自身が同じ罪状で投獄された経験を持つ指導者が、今度は対立候補に同様の措置が取られる中で就任式に臨んだという巡り合わせも、アフリカの新興民主主義国が抱える構造的な課題を映し出している。日本語で報じられる機会の少ないこうした細部は、遠い国の政治を型どおりの「選挙が行われた」という報道だけで理解した気にならないための材料になる。