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レンブラント自画像、80年ぶりにゴータへ里帰り ミュンヘンから貸し出し

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レンブラントが24歳の自分を描いた自画像が、ドイツ中部の都市ゴータにあるフリーデンシュタイン城の美術館へ80年ぶりに戻る。この絵は1946年に城から持ち出され、1954年からはミュンヘンのアルテ・ピナコテークで展示されてきた。今回は所有権が移るわけではなく、ミュンヘン側からの一時的な貸し出しという形で実現した。

何が起きたのか

『Youthful Self-portrait』(1629年)と題されたこの作品は、乱れた髪の若きレンブラントが薄暗い部屋からこちらを見つめる構図で知られる。同じ構図の別バージョンはアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)にも所蔵されている。

ゴータのフリーデンシュタイン城美術館(Herzogliches Museum、公爵家の美術館)で現地の9月5日から12月6日まで開かれる展覧会「レンブラント1632:ブランドの誕生」に貸し出され、会場の目玉として展示される。この展覧会は、レンブラントが署名をイニシャルから「レンブラント」という名前だけに変えた時期に焦点を当てたもので、レンブラントの絵画11点が並ぶ。

今回の貸し出しは、ゴータのクヌート・クロイヒ市長がバイエルン州のマルクス・ゼーダー首相に働きかけたことをきっかけに、ハイレベルの協議を経て実現した。この絵が19世紀半ばから飾られていた宮殿に戻るのは80年ぶりだという。

背景

この自画像は1803年までにザクセン=ゴータ=アルテンブルク公エルンスト2世が入手し、1842年からフリーデンシュタイン城に展示されていた。1928年、公爵家の美術コレクションの所有権はザクセン=コーブルク=ゴータ公の美術科学財団に移された。

第二次世界大戦中は安全のため城から20キロ離れたラインハルツブルン城へ疎開させられていたが、1945年4月に米軍がゴータを解放し、7月にソ連軍が交代して駐留すると、絵は一度フリーデンシュタイン城の美術館に戻された。

ところが1946年1月から2月にかけて、公爵家は当時の美術科学財団や現職の館長の承認を得ないまま、元館長を通じて絵を密かに南へ100キロ離れたコーブルクへ運び出した。名目は、美術品を接収してソ連へ運ぶためにソ連軍が各地に送り込んでいた部隊から絵を守ることだったとされ、当初は一時的な避難のはずだったという。コーブルクは米占領地区内にあった。

しかし1954年、公爵家はこの自画像をバイエルン州立絵画コレクションに売却し、以後ミュンヘンのアルテ・ピナコテークで展示されてきた。売却額は7万5000ドイツマルク(当時で約1万8000ドル)で、レンブラント作品としては当時でも低い金額だったという。この時点で東西ドイツを隔てる鉄のカーテンが存在し、米国の統治下にあったミュンヘン側は、かつてソ連占領地区の美術館にあった絵を買うことに大きなためらいはなかったとみられる。

フリーデンシュタイン・ゴータ財団の広報担当者は本紙に対し、この自画像は公爵家が「ゴータから不法に持ち出した」作品の一つだと説明している。

一方、この件を研究してきた文化史家ミルコ・クルーガー氏は、ドイツ法では所有物の返還請求権は紛失から30年で消滅すると指摘し、この自画像の場合その期限は1976年、東西ドイツ再統一の14年前に切れていたとしている。当時ゴータは東ドイツ、ミュンヘンは西ドイツにあり、冷戦下で東ドイツの美術館が西ドイツの美術館を相手に法的手段を取るのは難しかったとみられる。

両館は現在、所有権をめぐる法的な議論よりも公開の在り方に重点を移しているとみられる。ゴータ側の担当者は「両館の対話では、絵の来歴をめぐる法的な問題よりも、この自画像をどう公衆に届けるかに焦点が移りつつある」と述べている。ミュンヘン側も「今回の展覧会に絵を組み入れることは、バイエルン州立絵画コレクションにとって大きな意味があった」とコメントしている。

日本にとっての意味

この一件は、戦争と占領、その後の冷戦という政治状況の変化によって美術品の所在や来歴(プロヴェナンス、provenance)が複雑に絡み合った例として、文化財返還を考えるうえで参考になる。所有権の争いを性急に決着させず、貸し出しという形で公開を優先する手法は、日本の美術館でもなじみのある「寄託」(所有者が作品を館に預けて展示する制度)と発想が近い。所有権の帰属が曖昧、あるいは係争含みの作品でも、まず公衆の目に触れる機会を作るという解決の形として示唆に富む。

また、海外の名画が日本の展覧会に貸し出される際、壁面の解説パネルにはその作品の来歴が記されることが多い。今回のレンブラントのように、戦争や占領、政権の交代を経て所蔵先が変わった作品は世界中に少なくない。そうした来歴表示の背後にある歴史を知っておくことは、来日する海外美術展をより深く見るための手がかりになる。