戦火の合間に遺跡修復急ぐイラン、ゴレスターン宮殿など149件被害
米国とイスラエルによるイランへの軍事攻撃で、テヘランのゴレスターン宮殿やイスファハーンのチェヘル・ソトゥーン宮殿など、ユネスコ(UNESCO)の世界遺産を含む多数の史跡が損傷を受けた。イラン文化遺産・観光・手工芸省(MCHTH)によると、18州29都市の149件の史跡に被害が確認されている。停戦後も戦闘再開への懸念が消えないなか、専門家たちは修復作業を急いでいる。
何が起きたのか
2026年2月28日に始まった戦闘は、約40日間続いた末、4月8日に停戦が発効した。MCHTHによれば、この間にイラン国内18州29都市の149件の史跡が損傷した。イランは国内3万4000件以上を国家遺産リストに登録しているが、専門家はこの数字でも実態を下回るとみている。被害を受けたユネスコ世界遺産には、8つの主要建物からなる築400年のテヘラン・ゴレスターン宮殿、17世紀建造でペルシャ式庭園群の一部をなすイスファハーンのチェヘル・ソトゥーン宮殿、カスピ海とペルシャ湾を結ぶトランス・イラン鉄道の一区間が含まれる。
ゴレスターン宮殿は開戦2日目、近くで起きた爆発の衝撃で被害を受け、隣接する歴史的なグランドバザールにも影響が及んだ。MCHTHで国内外の遺産保護を統括するファルハド・アジジ・ゼラニ氏は「長年この分野に携わってきた私たちにとって、こうした知らせを聞くのは非常につらいことだった。特にゴレスターン宮殿については」と語っている。国際博物館会議(ICOM)副会長でテヘラン滞在中だったタイエベ・ゴルナズ・ゴルサバヒ氏も、ゴレスターン宮殿の被害の知らせに深く動揺したと振り返る。開戦直後は通信やインターネットの制限で同僚との連絡すら難しかったという。
現地の職員は建物の応急的な補強、破損箇所の養生、屋根の修理、足場の設置、崩落した装飾部材の記録・保管を続けてきた。ゴレスターン宮殿では、砕けた木材や装飾の破片を選別し番号を付けて記録する作業が進む。秋の到来を控え、雨水による被害拡大を防ぐための屋根修理が最優先課題になっている。
イランはユネスコ世界遺産センターや、武力紛争時の文化財保護に関する1954年のハーグ条約事務局などと継続的に協議し、技術・資金支援や国際調査団の派遣を要請してきたが、これまでのところ資金援助は実現していない。ユネスコは今回、本件についてコメントを避けている。イランの司法相は4月、被害への賠償を求めてあらゆる法的・国際的な手段を追求する考えを示しており、イスファハーンの被災地では司法当局の専門家による被害認定も進められている。
背景
イランは古代ペルシャ帝国以来の遺跡が集積する地域で、ペルセポリスをはじめ世界的に知られる史跡が多い。ゴレスターン宮殿はサファヴィー朝(1501〜1736年)に起源を持ち、ガージャール朝(1794〜1925年)の時代にペルシャとヨーロッパの様式を融合させる形で拡張された建築群で、19世紀のイランの近代化を象徴する場所として知られる。
今回の戦闘による文化財被害の規模は、近年の米国の軍事作戦の歴史でも異例とされる。ロイター通信が2026年6月に行った調査では、過去20年にわたる米国とその同盟国によるイラク、シリア、リビア、アフガニスタンでの地上・空爆作戦において、ユネスコ登録遺産への同様の被害例は確認されなかったという。
停戦発効後も米国、イスラエル、イランの間で断続的な交戦が続き、トランプ大統領がイランのインフラを再び標的にしうると警告するなど、全面的な戦闘再開への懸念がくすぶる。それでもイラン側の専門家は、不確実な情勢の中でも文化財の応急保全を止めていない。
日本にとっての意味
ペルセポリスをはじめとするイランの遺跡は、日本の教科書や展覧会を通じて比較的なじみのある存在だ。今回の記事でアジジ・ゼラニ氏は、ゴレスターン宮殿の保存に向けて日本が支援を申し出ていると明らかにしている。具体的な支援内容は資料からは分からないが、日本の文化財保護分野の専門機関が海外の被災遺跡修復に関わる可能性を示す動きとして注目に値する。また、中東での軍事衝突が世界遺産という人類共通の資産にどこまで及ぶのかは、1954年のハーグ条約の実効性にも関わる問題であり、日本の博物館・文化財関係者にとっても他人事ではない事例だと言える。