米オハイオ州のトレド美術館、来歴不明の文化財5点をエチオピアへ返還
米オハイオ州のトレド美術館(Toledo Museum of Art)が、エチオピア文化遺産庁と新たな提携を結んだ。この提携を通じ、来歴の記録を欠いたまま個人収集家の手元にあった5点の文化財がエチオピアに返還される見通しになった。両者は今後20年をかけ、所有者が事実上宙に浮いた文化財の扱い方を探る枠組みを作る。
何が起きたのか
中世美術を専門とする収集家ボブ・マッカーシー氏が、所蔵品の一部を然るべき持ち主に返せるよう寄贈したいとトレド美術館に持ちかけたことがきっかけだった。ところが対象の品には来歴を示す書類が一切なく、誰が正当な管理者かを特定するのは簡単ではなかった。調査の結果、写本2点はいずれも1970年以降エチオピア国内にあったことが確認されており、その後国外へ不法に持ち出された可能性が高いと判断された。うち1点は、15世紀の「黙示録の書」(時課書を併載した写本)である。これに十字架3点を加えた計5点が返還対象となり、十字架についてはすでにマッカーシー氏からエチオピア文化遺産庁へ引き渡し済みという。
トレド美術館は、中世美術と建築を展示する「クロイスターギャラリー」の展示替えを進めており、この過程でエチオピアでの現地調査に着手したことが、同庁との協力関係につながったとみられる。展示替えを率いるソフィー・オング氏(同館で戦略企画を担当)は「エチオピアで地ならしをする中で、輸出の証拠が一切ない文化財の問題をどう解決するか、方法を探した」と話す。展示替えは2027年に完了予定で、エチオピアやアルメニア、ビザンツ帝国、イスラム世界が宗教や思想を通じてどうつながっていたかに焦点を当てる構成になるという。両機関の提携は20年間続く計画で、最初の10年は調査と能力構築、返還に充て、残る10年は返還後の各文化財の長期的な扱いを検討する期間に位置づけられている。
背景
文化財の国境を越えた移動をめぐっては、1970年のユネスコ条約(文化財の不法な移動を防ぐための国際的な取り決め)が最初の国際的な枠組みとされる。この条約は2000年の見直しで運用面の実効性が大きく強化されたが、1970年から2000年までの間に骨董品の闇市場は拡大した。米国の博物館の業界団体(American Alliance of Museums)が1970年のユネスコ条約を業界の望ましい実務基準として正式に採用したのは2008年になってからで、これ以降、美術館は所蔵品の来歴調査(provenance research、その品がどう渡ってきたかを調べること)により厳格に取り組むようになったとされる。
トレド美術館のアダム・レバイン館長はこの空白期間を「後付けで基準を当てはめることになった、いわばドーナツの穴のような状態だ」と表現する。善意で集められたが1970年から2008年当時の基準には合わない作品は文字通り数百万点にのぼるといい、マッカーシー氏もそうした立場に置かれていたと館長は説明する。レバイン氏らは、来歴の記録が欠けているだけで出所そのものが疑わしいわけではないこうした文化財を、従来使われてきた「孤児となった文化財(orphaned objects)」ではなく、「宙に浮いた状態(objects in limbo)」と呼ぶことにしたという。呼び方を変えることで、これらの品への敬意を保つ狙いがあるとしている。
日本にとっての意味
今回の枠組みは、米国オハイオ州の中規模美術館とエチオピアの文化財当局という二者間の取り決めであり、日本の制度や産業に直接の影響を及ぼすものではない。ただし1970年から2008年にかけての空白期間に集められた文化財が来歴不明のまま所蔵され続けているという問題は、エチオピア固有の事情ではなく、この時期に美術品や骨董品を集めた収集家や機関に共通する構造的な課題である。日本国内の美術館や個人収集家が同じ時期に入手した海外の文化財についても、輸出の記録が残っていないケースは起こりうる。輸出の記録がないために来歴の裏付けが取れず、貸借や購入の判断が止まる場面は、トレド美術館がエチオピアとの間で直面したのと同種のものだ。
今回のトレド美術館の取り組みが示すのは、返還を一度きりの引き渡しで終わらせず、最初の10年を調査と能力構築、返還に、残る10年を返還後の管理体制の検討に充てるという、時間をかけた二段階の枠組みである。原産国の専門家と直接対話しながら所有権ではなく管理責任の引き継ぎを目指すという発想は、文化財返還を政治的な謝罪や圧力による一度限りの決着としてではなく、実務的な調査と信頼構築の積み重ねとして捉え直す具体例として参考になる。