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ナチス略奪の肖像画、私人から返還命令 アルゼンチン刑事手続きで

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アルゼンチンの裁判所が、ナチスに略奪された18世紀の肖像画を、私人の手から返還させる決定を承認した。国家や美術館との合意ではなく、刑事手続きを通じて私人保有の略奪美術品を取り戻した事例として、弁護団は異例だとしている。絵画は近くオランダの画商一族の相続人のもとに戻る見通しだ。

何が起きたのか

現地時間の9月4日、アルゼンチンの連邦判事サンティアゴ・インチャウスティは、絵画の保有者だったパトリシア・カドヒエン氏とその夫フアン・カルロス・コルテゴーソ氏に対する刑事手続きを停止する合意を承認した。2人は盗品の隠匿加重容疑で起訴されていたが、公判を回避する条件付きの合意に応じた。条件の一つが、絵画に対する現在および将来のあらゆる権利を永久に放棄することだった。

問題の絵画は18世紀イタリアの画家ジャコモ・アントニオ・メルキオーレ・チェルーティによる「婦人の肖像」で、以前はジュゼッペ・ギスランディの作とされていた。評価額は約25万ユーロとされる。この絵は2025年8月、アルゼンチンの不動産会社が掲載した物件広告の室内写真に写り込んでいたことから所在が判明した。長年、絵画を保有していたのはナチス政権の関係者だったフリードリヒ・カドヒエン氏の一族で、同氏は第二次世界大戦後に欧州を離れ、アルゼンチンのマルデルプラタに定住していたという。

絵画は今後、相続人であるマレイ・ヴァン・サーヘル氏のもとに戻る。相続人側の弁護士フアン・イグナシオ・パスクアル氏は、アルゼンチンの司法がナチス略奪美術品を私人の手から回収し返還を命じたのはこれが初めてとみられると述べ、国家や美術館との合意ではなく、アルゼンチンの刑事手続きを通じて原告や司法当局の関与のもとで返還を命じる司法判断が得られた点で、ほぼ前例のない事例だとしている。

背景

返還対象の絵画は、オランダのユダヤ系画商ヤック・ゴウトスティッケルが所有していた。同氏は1940年のドイツ軍侵攻後にオランダを脱出し、その途上で死亡した。

1100点を超える作品を抱えた画廊はナチスに接収され、相続人は数十年にわたり作品群の返還を求めてきた。2006年にはオランダ政府から202点の返還を受けている。ヴァン・サーヘル氏はゴウトスティッケルの一人息子の未亡人であり、米国在住の相続人だ。

ナチス略奪美術品をめぐる返還交渉の多くは、これまで美術館や政府といった公的機関を相手に進められてきた。公的機関は国際的な原則や世論の圧力にさらされやすく、返還に応じる誘因が働きやすいためとみられる。これに対し、他国の私人が保有し続けているケースは、そもそも所在の特定自体が難しく、法的な返還請求が届きにくいという指摘がある。

今回、絵画の存在が明らかになったきっかけも、調査機関の追跡ではなく、不動産広告に写り込んだ写真だった。刑事手続きという経路が使われた背景には、こうした私人保有の壁を越える手段が乏しかった事情があるとみられる。

ヴァン・サーヘル氏は声明で「80年余り前、この絵画はナチスに、まず(ヘルマン・)ゲーリングに、続いてカドヒエンに奪われ、その子孫が数十年にわたり保有し続けてきた。この一章に区切りをつけ、絵画を家族のもとに、そしてヤック・ゴウトスティッケルの遺産の一部を取り戻す時が来た」と述べている。ヴァン・サーヘル氏は返還前に絵画をアルゼンチン国内で一時的に公開できないかと考えており、複数の美術館と接触しているという。ブエノスアイレスのホロコースト博物館が候補地として名前が挙がっているが、同館は相続人側から新たな情報を得ておらず、事案の公共性の高さを踏まえ、家族側の発表を待つ姿勢を示している。

日本にとっての意味

今回のような刑事手続きによる返還の仕組みが、そのまま日本の制度に当てはまるわけではない。所有権や盗品の扱いをめぐる法制度は国ごとに異なり、アルゼンチンで機能した経路が日本でも同様に使えるとは限らない。ただし、この事案が浮き彫りにした問題の構図そのものは、日本の美術品所有者や海外オークションの買い手にとっても無関係ではない。

注目すべきは、絵画が数十年にわたり公にならなかった作品の来歴、つまりプロヴェナンス(provenance、作品が誰の手を渡ってきたかの記録)が、不動産広告の写真という偶然のきっかけで表面化した点だ。日本国内の美術館や個人コレクションにも、来歴の記録が不十分なまま所蔵されている作品が存在する可能性はあり、海外オークションで作品を買い付ける際には、出品履歴や過去の所有者を丁寧に確認する重要性が改めて示された形といえる。

また今回のケースは、所有者の世代交代や物件の売却といった、本人が意図しない形で作品の存在や来歴が明るみに出る典型例でもある。相続によって美術品の所有者が代替わりした後、何十年も経ってから元の持ち主やその子孫が権利を主張する事態は今後も起こり得る。日本の収集家や美術関係者にとっても、購入時の来歴確認を怠らないことが、後年思わぬ形で問題が表面化するリスクを避ける手立てになるだろう。