チリの港町バルパライソ、19世紀の観測所付き邸宅が修復完了
チリの港町バルパライソにある19世紀の邸宅「カサ・モウアット」が、1年余りに及ぶ100万ドル規模の保存修復工事を終え、現地時間の2026年9月7日に一般公開を再開すると発表された。この邸宅は、アメリカ大陸の太平洋岸で最初の天文観測所が19世紀に建てられた場所として知られる。修復を主導したのはチリで文化財の保護を担う政府機関、国家文化財局である。
何が起きたのか
カサ・モウアットは、ユネスコの世界遺産に登録されたバルパライソ市街地の中心部に立つ、アドベ(adobe、日干しレンガ)造りの邸宅だ。かつては海軍の歴史を扱うロード・コクレーン博物館として使われ、2019年までバルパライソ市が文化・芸術活動の拠点として運営してきた。2020年以降はチリ文化・芸術・遺産省が、敷地約2325平方メートルを含めて管理を引き継いでいる。
修復では、扉や窓、床板、天井、幅木、軒飾り、屋根、外廊の柱などが保存の対象となった。屋外では、敷地に残る18世紀の大砲も修復されている。重要な要素の一つは、雨で傷んでいた屋根の全面的な取り替えだったという。バルパライソ世界遺産管理法人のマカレナ・カロサ氏は「もう雨漏りはしない。今年は最も激しい嵐にも耐え、よく持ちこたえた」と語っている。
修復後の建物には、当面はバルパライソ地方公文書館が入り、将来は世界遺産地区の案内センターも設けられる予定だ。
背景
この土地はもともと、スペイン植民地時代の要塞「サン・ホセ城」があった場所で、1822年の地震で城が崩壊した後に区画分譲された。1840年代初め、スコットランド出身の時計職人ジョン・モウアットがこの土地を買い取って自邸を構え、1843年に敷地内に天文観測所を建てた。当時のバルパライソは、1818年にチリがスペインから独立した後、欧州や中東からの移民が集まる金融・貿易・技術の中心地として発展していた。
バルパライソ・ビーニャデルマル天文協会の元会長ルイス・パレデス・ロハス氏によれば、モウアットの観測所は、1838年に米マサチューセッツ州ウィリアムズタウンのウィリアムズ大学で完成したホプキンス天文台に次いで、大陸で2番目のものだったという。学術誌『Revista 180』に2025年に掲載された論文によると、観測所は1843年以降、港の気象状況、特に風の情報を地元紙で発表し、帆船の航行に欠かせない存在として港の運営を支えていた。世界最古の現存するスペイン語新聞とされる『エル・メルクリオ・デ・バルパライソ』は1843年、「バルパライソに天文台!」という見出しの記事を掲載した。
しかしモウアットは1863年に破産し、邸宅と観測機器を失う。最高裁にまで訴えて機器の返還を求めたが認められず、貧困のうちに1871年にバルパライソで没した。その後、邸宅は10人以上の所有者の手に渡ったが、詩人サラ・ビアルと、1971年にノーベル文学賞を受けたパブロ・ネルーダの尽力もあって、1963年に国の史跡に指定された。
日本にとっての意味
今回の修復の核心は、雨で傷んだ木造・土壁建築の屋根を全面的に取り替えた点にある。木造の文化財が多く、台風や豪雨、地震による損傷と修理費の負担が繰り返し課題になる日本にとって、この事例は他人事ではない。両者には構造的な共通点がある。公的機関がどこまで費用を負担し、どのような判断で保存範囲を決めるのかという点は、日本の文化財行政を考える上でも参考になりうる。
また、チリは現在の天文学において日本と直接つながりのある国でもある。チリ北部には日本も参加する電波望遠鏡群アルマ望遠鏡(ALMA)があり、日本の研究者が観測に携わっている。1843年に太平洋岸で最初の観測所が置かれたバルパライソ。その同じチリの空を、現代の日本の天文学が舞台にしている。時代を隔てた意外な接点といえる。
さらに、修復後の建物が地方公文書館や世界遺産の案内センターへと転用される点も注目に値する。歴史的建造物を博物館的な展示にとどめず、行政機能や資料保存の場として活用する発想は、日本各地で進む古民家や旧庁舎の公文書館・資料館への転用とも重なる。実務面の参考になる事例だ。