英国の記録的猛暑、NHSの手術1000件超を中止に
英国の気候変動専門メディア、カーボン・ブリーフ(Carbon Brief)の情報公開請求により、2026年5月と6月の記録的な猛暑の際、英国の公的医療制度NHS(National Health Service)の病院で1000件を超える手術が熱を理由に中止されていたことが分かった。膝や股関節の置換手術など整形外科の手術167件のほか、心臓や目、皮膚がんの手術も含まれる。命に関わる緊急手術も少なくとも10件が中止された。
何が起きたのか
カーボン・ブリーフは、イングランドとウェールズで手術室を持つ140のNHSトラスト(NHS trust、病院を運営する組織)と保健委員会に情報公開請求を送り、「amber」「red」と呼ばれる高いレベルの熱健康警報が出ていた現地の5月22〜28日と6月18〜27日の17日間について、熱を理由に中止された手術の件数を尋ねた。回答があった59のトラストからは、合わせて1110件の中止が報告された。63のトラストは回答したものの詳細を示さず、その多くは単にこうしたデータを記録していないと答えたという。
中止された手術のほとんどは「予定手術」、つまり命に直ちに関わらず日程を決めて行う手術だった。それでも心臓の手術が少なくとも8件、皮膚がんの切除手術が7件含まれ、緊急手術の中止も10件、手術の途中で中断せざるを得なかった例も18件あった。手術の種類が判明している596件のうち167件が整形外科で、目や婦人科、泌尿器科の手術も多かった。
中止が最も多かったのはサリー・アンド・サセックス・ヘルスケアNHSトラストで、クローリー病院1施設だけで140件に上った。同病院は、6月に気温が36度近くまで上がった英国内でも特に暑い地域にある。ほかにも南エセックスや西ミッドランズのダドリー、南ウェールズ、ロンドンの一部でも中止が目立ち、被害が大きかった病院の多くは気温が最も高かったイングランド南部にあった。全件のデータを示したトラストでは、この期間の手術中止のうち約7%が熱を理由にしていた。
トラストの多くは、手術室が「暑すぎた」ことを理由に挙げた。英国の麻酔科医、エド・ロビンソン氏はカーボン・ブリーフに対し、手術室には汚染物質や麻酔ガスの煙を排出する複雑な換気システムが備わっており、一定の温度を超えるとこのシステムが正常に働かなくなると説明した。換気が止まれば、手術室内の空気の流れが乱れ、感染のリスクが高まるという。
バーミンガム大学で外科分野の公衆衛生を研究するドミトリ・ネポゴディエフ氏は、病院は常に「時間的制約があり命に関わる」手術を優先せざるを得ないとしたうえで、それでも手術の中止は患者に大きな苦痛をもたらし、生活の質を損ないうると述べ、「統計の背後にいるのは、おそらく既に長く待たされてきた実在の人たちだ」と語った。NHSウェールズの臨床責任者を務める内分泌外科医リチャード・イーガン氏も、猛暑で数日間手術が止まることが待機リストに響くと指摘し、「待機リストで1週間待つあいだに、患者の状態は悪化しうる」と話している。
背景
今回の集計で熱による中止の詳細を示したのは、回答したトラストの半分にも満たない。多くの病院がそもそもこの種のデータを日常的に記録していない。そのためカーボン・ブリーフ自身が、実際の中止件数はこれより相当多い可能性が高いとみている。それでも今回の調査は、猛暑への備えが乏しいとされる英国の手術体制の実態を、これまでにない規模で示す手がかりになったといえる。
2026年に英国を繰り返し襲った記録的な熱波は、気候変動によって強まったとみられており、これまでにも数千人の死亡と関連づけられている。高温は呼吸器や循環器、腎臓の疾患を悪化させるほか、救急外来の記録的な需要増加や病棟の温度上昇、医療機器の故障といった形で医療インフラ全体にも負荷をかけているとされる。英国の病院は元々、スタッフ不足や病床不足といった慢性的な課題を抱えており、猛暑はそこに新たな重荷を加えている構図だ。
日本にとっての意味
この調査で最も注目すべき点は、被害の規模そのものより、「聞かれるまでデータが存在しなかった」ことにある。多くの英国の病院は熱による手術中止を記録しておらず、今回情報公開請求という形で初めて実態の一部が明らかになった。同じ問いを日本に向けたとき、記録的な猛暑が続く夏に、熱を理由に止まった手術や医療機器の不具合を体系的に集計している仕組みが医療機関にあるかどうかは、現時点では判然としない。
日本の手術室も、清浄度や温湿度を厳密に制御する設備を備えている点では英国と共通しており、猛暑下で同様の換気トラブルが起こる可能性は否定できないとみられる。加えて、老朽化した病院設備の更新が追いつかないという指摘や、熱中症による救急搬送の急増が救急外来の負荷を押し上げるという構図も、英国の事例と重なる部分がある。今回のような調査報道は、猛暑を気象現象として伝えるにとどまらず、医療現場の運営という角度から自国の備えを点検するきっかけになりうる。