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ベルリンのデザイン祭「カレンツ」、ドイツ産業界への不満表明

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ドイツ・ベルリンで現地の9月10日から12日まで、新しいデザインフェスティバル「カレンツ(Currents)」が開かれた。創設者のラウラ・エーヴェルト氏とヤスミン・ヨウハー氏は開幕に合わせたDezeenの取材に、ドイツの産業界はデザインの可能性にもう開かれていないと語り、地元のデザイン界がようやく正当な評価を得る場になることへの期待を述べた。

何が起きたのか

カレンツは「きわめてベルリン的」な催しとして構想された。運営を中央に置かず、地域のコミュニティが企画し、企業スポンサーは最小限にとどめる。コペンハーゲンの3デイズ・オブ・デザインと同じく、資金のほぼすべてを参加するブランドやスタジオが下から出し合う形だ。

「この考え方自体は特に新しくないが、とてもベルリン的でもある」とエーヴェルト氏は言う。「私たちは何もないところから何かを作ることに慣れている。空き部屋がひとつあって、そこに10人が集まれば、2週間後には大した金もかけずにちゃんとした展覧会ができている」。ヨウハー氏も「要するにこれは日曜大工の精神だ。ベルリンの人は、誰かが来てやれと言ってくれるのを待っていない」と続けた。

ジャーナリストから催しの運営に転じた2人にとって、この立ち上げは重要な時期に重なる。ベルリンからは以前にも増して面白いスタジオやブランドが生まれているのに、国内でも国外でも作品を見せる場がほとんどなく、資金もないからだ。

ベルリンを代表しようとしたデザインの催しはこれまでにもあり、ブランディング会社ステート・オブ・デザインが2017年から運営するベルリン・デザイン・ウィークが代表格だった。だが2人によれば、こうした催しは地元のコミュニティからおおむね敬遠されてきた。「ここで見つかるデザインの質を考えれば、ベルリンのデザイナーが気持ちよく作品を見せられる場がないというのは、いつも少し奇妙に思えた」とエーヴェルト氏は説明する。

背景

ベルリンの外に目を向けても、状況は明るくない。ドイツで長く続いてきたケルンの家具見本市IMMは来場者数に苦しみ、市場の需要が落ち込んだとして2025年の開催を取りやめた。2026年1月に復活したものの、ほかの主要な欧州諸国が国際的な舞台で自国の才能を売り込むのに投資しているのに対し、ドイツのデザイナーはおおむね自力で何とかするしかない、とカレンツの2人は言う。

「ミラノのデザインウィークに行けば、スイスもオーストリアも出ていて、彼らが注いでいる労力と資金が見える。ドイツがなぜそれをやらないのか分からない」とエーヴェルト氏。「私たちはそこを絶対に変えたい」

カレンツ自身も、試みなかったわけではないのに公的資金を確保できなかった。2人はその理由を、バウハウスからディーター・ラムスに至るドイツのデザイン史の血統にもかかわらず、政治や経済のレベルでこの分野を評価する姿勢がほとんど過去のものになった点に見ている。

「戦後の歴史には、ドイツの産業が本当にデザインに開かれていた決定的な瞬間があった」とヨウハー氏は語る。「ブラウンとディーター・ラムス、エルコとオトル・アイヒャーがそうだ。しかしそれは終わった。ドイツの産業界は、デザインが自分たちの工程や製品に何をもたらせるかに、もう本当には開かれていない」。エーヴェルト氏も「ドイツでは、デザインというより機能の話になる」と同調する。

その結果、地元のデザイナーは板挟みに陥っている。産業界からは仕事を低く見られる一方、商業的な応用があるために従来の芸術や文化の助成の対象にはならない。「デザインが持つ文化的・社会的・政治的な価値は認められていない」とエーヴェルト氏は言い、それが資金集めの難しさの一因だと指摘した。

それでもベルリンのデザインの現場は活気づいている。コンスタンチン・グルチッチ氏や1763年創業の王立磁器製陶所KPMといった名前だけでなく、勢いのある若いスタジオやブランドが育っている。カレンツ期間中に新作を発表した家具メーカーのオブイェクテ・ウンザラー・ターゲや、地元のガラス職人と組むブランドのムーナリなどだ。今回は80のブランドとスタジオが60か所で参加し、多くは地元ベルリンの作り手が占めた。

背景には、この街が大規模な製造業から遠く切り離されているという事情もある。「ベルリンにはもう産業がない」とヨウハー氏は説明する。「産業も金融も、実体経済はすべて西ドイツやヨーロッパの別の場所へ去った。だからコペンハーゲンやミラノのような、産業や生産との密接なつながりがない」。それだけに、この10数年でベルリンの仕事がはるかに専門的になったことは印象的だと同氏は言う。エーヴェルト氏も「ベルリンには今も日曜大工の気概があるが、出来上がるものはもう素人くさく見えない。どれも国際水準で、質がある」と語った。

日本にとっての意味

カレンツの成り立ちは、日本のデザインイベントと驚くほどよく似ている。2017年に始まったDESIGNART TOKYOは、表参道や外苑前、渋谷、六本木、銀座などの店舗やギャラリーを会場にする分散回遊型の催しで、出展料と協賛で運営されている。街全体を美術館に見立てるという発想も、会場を一か所に集めないという構造も、カレンツと同じだ。規模では2025年の実績で91会場、参加したクリエイターとブランドは約300、総来場者はおよそ24万8800人に達した。

違うのは、そこに至るまでの下地だろう。日本では1957年、当時の通商産業省が「グッドデザイン商品選定制度」、いわゆるGマーク制度を始めた。国がデザインの奨励に乗り出し、1998年に民間へ移管されて日本デザイン振興会がグッドデザイン賞として引き継いでいる。国が制度を作り、育ってから民間に渡すという順序を踏んだ点は、公的支援が最初から見込めないカレンツの置かれた状況とは対照的だ。

とはいえ、ヨウハー氏が指摘した「産業界がデザインに開かれていた時期は終わった」という診断は、日本でも聞き覚えのある話ではある。メーカーの中にデザイン部門を抱え、そこから戦後の製品文化が生まれてきた国だからこそ、産業とデザインの距離がいつの間にか開いていないかという問いは、ドイツだけのものではない。