モスクワ大公ドンスコイの聖遺物、ロシア正教会が前線へ送る
ロシア正教会は、14世紀のモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの遺骸の一部を納めた聖遺物容器(reliquary)を、ウクライナ東部ドネツク方面の前線部隊のもとへ送った。この遺骸は今年夏、モスクワのクレムリン内にある大天使聖堂の改修工事中に見つかったばかりだった。教会は兵士たちの士気を高めるための宗教的な支えとして、この聖遺物を活用しようとしている。
何が起きたのか
補強ガラスで覆われた装飾的な聖遺物容器には、ドンスコイの右手の一部が納められている。この容器は前線沿いの各部隊で公開される予定だという。教会は声明で「聖なる指揮官は、祖国の命運が今日決まろうとしている場所へ向かい、目に見えぬ形で我々の防衛者たちと同じ戦列に加わる」としている。
ドンスコイの遺骸は今年夏、大天使聖堂の地下で見つかった。石棺は4つに割れており、モルタルや白い石の破片が隙間から落ち込んでいたという。ロシア考古学研究所のニコライ・マカロフ所長は国営のリア・ノーボスチ通信に対し、正式な発掘手順は踏まず、遺骸をできる限りそのままの状態で保存することを優先したと説明した。プーチン大統領は発見後、開けられた石棺を視察し、聖堂内でろうそくを灯した。
背景
ドミトリー・ドンスコイは14世紀、モスクワ大公およびウラジーミル大公として約30年間統治した人物で、1988年にロシア正教会から聖人に列せられている。ドンスコイが広く英雄視されているのは、1380年のクリコヴォの戦いで、当時ロシアの地を支配していたモンゴル系のジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)のタタール人勢力を相手に、ロシア側として初めて戦場での勝利を収めたからだ。ドンスコイ自身は負傷して倒れながらも生き延びた。この勝利はロシアが独立への道を歩み始める最初の一歩として語り継がれてきた。戦いの経緯は14世紀末までにまとめられた叙事詩「ザドンシチナ」に詳しく記されており、この作品はロシア文学史でも重要な位置を占めている。
ドンスコイが戦時の象徴として持ち出されるのは今回が初めてではない。1914年の第一次世界大戦時にはドンスコイを描いたポスターが戦争被害者への寄付を呼びかけるために使われ、第二次世界大戦中にはロシア正教会が資金を出した戦車部隊にその名が冠せられた。今回についても、ロシアの侵攻を批判する立場からは、この戦争をロシアにとっての存亡をかけた防衛戦として位置づけようとする試みの延長だという指摘が出ている。キーウ・ポストによれば、教会は「まさに剣を振るったその右手が、前線へ送られた」と述べている。
日本にとっての意味
2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、米外交問題評議会(Council on Foreign Relations)の集計によれば死者は100万人を超え、ロシアがウクライナ領土の約2割を占領する状態に至っている。
日本は欧米諸国と足並みをそろえてロシアに制裁を科し、戦争がどう収束に向かうかを注視してきた立場にある。侵攻が長期化して前線が膠着するなか、指導部が聖人の遺骸まで動員して兵士の精神面を支えようとしている事実は、戦況の数字だけでは見えにくい、ロシア国内の消耗の度合いを推し量る材料になる。ロシアでは正教会と国家権力の結びつきが強く、宗教的権威を使って戦争に歴史的な正統性を与えようとする姿勢が繰り返し表れてきたことも、今回の一件からうかがえる。