アステカ興亡描く絵文書、1840年以来のメキシコ里帰り展示
フランス国立図書館が所蔵するアステカの絵文書「アスカティトラン絵文書(Codex Azcatitlan)」が、フランスからの貸与という形でメキシコシティに一時里帰りした。三か月間、国立人類学博物館で公開される。返還ではなく、フランスとメキシコの外交関係200周年を記念した相互貸与の一環である。
何が起きたのか
現地時間9月17日、メキシコシティの国立人類学博物館(MNA)で「アスカティトラン絵文書」の展示が始まった。1840年以来、初めてメキシコに戻ってきたという。フランス国立図書館からの貸与で、三か月間の展示予定となっている。
この絵文書は50枚の葉(folio)からなり、16世紀後半から17世紀初頭にかけてメキシコ盆地で作られたとみられる。ヨーロッパ式の文字とメソアメリカの絵画表現を組み合わせ、アステカ人(メシカ人)がアストランから移住した経緯、テノチティトランの歴代統治者の治世、そしてスペインによる征服とキリスト教への改宗までを描いている。
展示では原本が保護ガラスの下に置かれ、8つの先住民集団がテノチティトランを目指す旅の準備をする場面のページが開かれている。太陽と戦争の神ウィツィロポチトリに導かれる場面とされる。残りのページは写真パネルとして壁に掲げられ、周囲には他の絵文書や道具、織物、胸飾りといった考古遺物も並ぶ。
メシカ人の代表マリア・エウヘニア・カスタニェーダ氏はロイター通信の取材に対し、「こうした絵文書は、私たちが特別な時代を生きるうえで、人間としてのアイデンティティと価値を与え続けてくれる」と述べ、士気や慣習、文化、そして自分たちが何者かという感覚を高めてくれると語った。
背景
テノチティトランは1325年、テスココ湖畔に定住した狩猟採集民によって築かれたアステカ帝国の首都である。高度な農業技術に支えられて急速に勢力を拡大し、最盛期には現在のニカラグア付近まで版図が及び、人口は500万人から600万人に達したとされる。1519年、エルナン・コルテス率いるスペインの征服者たちが馬と銃器を伴って到着し、2年後の1521年に帝国は滅んだ。この絵文書は、そうした興亡を伝える、最も貴重な視覚的記録の一つとされる。
絵文書の来歴は、所有権をめぐる論争と切り離せない。研究者によれば、最初の所有者はテスココの著名な統治者ネサワルコヨトルの子孫にあたる歴史家フェルナンド・デ・アルバ・イシュトリルショチトルだったとみられる。その後、複数の学者や図書館の手を経て、パリでフランス系メキシコ人の収集家ウジェーヌ・グーピルに売却され、1898年頃、その未亡人によってフランス国立図書館へ寄贈された。以来フランス政府が保管し、フランスとメキシコの双方が自国の所有物だと主張してきた経緯がある。
1982年には、メキシコ人弁護士ホセ・ルイス・カスタニェーダが、別の絵文書「トナラマトル絵文書」をフランス国立図書館から持ち出し、メキシコへ持ち帰るという出来事も起きている。この絵文書は現在もメキシコにとどまっている。
こうした緊張関係があるにもかかわらず、メキシコ政府は今回、絵文書がメキシコシティに滞在する間もフランスへの返還要求は行わないとしている。今回の里帰りは、フランスとメキシコの外交関係200周年を祝う象徴的な催しである。メキシコが同じくアステカの移住を描いた「ボトゥリーニ絵文書」を三か月間フランスへ貸し出すことと引き換えに実現した相互貸与にあたる。メキシコのロベルト・ベラスコ外相は展示開会式で、「絵文書は機関のものではなく、その中に自分自身を見出す人々と世代のものだ」と述べたという。
日本にとっての意味
アステカ帝国の興亡を描いたこの絵文書は、日本の読者にとって馴染みの薄い中南米史への手がかりになる。テノチティトランがわずか200年ほどでニカラグア付近まで版図を広げ、その後スペインの征服によって滅んだという歴史は、世界史の教科書でも数行で片づけられがちだが、先住民の手で絵と文字に記された史料が今も現存し、しかも一般公開される機会は稀である。
また今回の展示は、返還ではなく貸与という形をとっている点が重要である。フランスとメキシコの間では同じ絵文書の所有権を巡って長年主張が食い違ってきたが、今回は互いに別の絵文書を三か月ずつ貸し合うことで、対立を棚上げしたまま文化財を人々の目に触れさせる方法を選んだ。日本の博物館も海外の遺物を借りて特別展を開くことが多く、所蔵国と借用国の間で権利関係が敏感な文化財をどう公開するかという問題は、日本国内の展示企画にも通じる。