メトロポリタン美術館、寄贈を断り彫刻3点のナイジェリア返還を仲介 長期貸与で展示は継続
米ニューヨークのメトロポリタン美術館が、彫刻3点をナイジェリアへ返還する取り決めを仲介し、作品は長期貸与としてニューヨークに残って展示が続くことになった。作品はコレクターのシール・ピュリツァー氏が寄贈しようとしたものだが、美術館は来歴(provenance、作品がどこでどう伝わってきたかの記録)が寄贈受け入れの基準を満たさないと判断し、寄贈ではなく別の経路を選んだ。現地では2026年9月中に、ロックフェラー翼のアフリカ美術ギャラリーで公開される予定という。
何が起きたのか
返還の対象は、銅製の人物像1点とテラコッタ製の作品2点の計3点。12世紀から18世紀にかけて作られたもので、ナイジェリアのイフェとベニンの美術の伝統を代表する作品だと美術館は位置づけている。銅製の人物像は18世紀ごろのもので、ベニン王国の宮廷でイヨバ(iyọ́bà、王母)と呼ばれる女性を表した、エド族の作例とされる。
美術館の発表資料によれば、この像は王母を単独で表した珍しい例だという。「この像が特異なのは、17世紀末から18世紀にかけて在位した、とりわけ有力な王母を記念したものだったことを示しているのかもしれない」と美術館は説明している。
これらの作品はもともと、シール・ピュリツァー氏が所有していた。氏はアーカンソー州出身の画家で、1970年にピュリツァー賞で知られる一族に嫁いだ。その後アフリカ美術の収集を始め、2015年から2018年にかけてこの3点を入手したとされる。2025年に、氏はこれらをメトロポリタン美術館に寄贈しようとしたが、美術館のマックス・ホライン館長がニューヨーク・タイムズに語ったところによると、氏が提示した詳細な来歴の記録をもってしても、寄贈を受け入れる基準には届かなかったという。
この3点が2015年より前にどこにあったのか、ピュリツァー氏がどこからどのように入手したのかについて、報道では明らかにされていない。美術館は結局、寄贈という形は取らず、作品の所有権がナイジェリア側に移り、長期貸与として引き続きニューヨークで展示されるという方法を仲介した。
背景
ベニン王国やイフェに由来する美術品をめぐっては、植民地期の経緯について国際的な議論が続いてきた。多くの美術館が、自らの所蔵品の来歴をあらためて精査し、必要に応じて出身国に権利を戻す動きを進めている。ユネスコが1970年に採択した、文化財の不正な輸出入や所有権移転を防ぐための条約も、こうした議論の枠組みのひとつとして参照されることが多い。
今回のケースが注目されるのは、寄贈を申し出た側が来歴の記録を提示していたにもかかわらず、美術館側がそれでも自らの基準を満たさないと判断した点にある。美術館が具体的にどのような基準を設けているのかは報道では明らかにされていないが、少なくとも今回は、コレクターの説明だけでは受け入れに十分でないと判断されたことになる。そのうえで美術館は、作品を手放さずに展示を続けるために、寄贈ではなく返還と長期貸与を組み合わせるという実務上の折衷案を選んだ。
この方法だと、ナイジェリア側が法的な所有権を得る一方、作品はニューヨークに残り、研究や公開の場として使われ続ける。美術館は展示の空白を避けられ、出身国は物理的な返還を待たずに権利関係を明確にできる。双方にとって現実的な着地点だったとみられる。
日本にとっての意味
日本の博物館・美術館も、朝鮮半島や中国大陸に由来し、植民地期や近代の混乱期に日本へ渡った所蔵品を抱えている。こうした所蔵品をめぐっては、来歴の記録が乏しいものも少なくなく、国際市場で新たに作品を購入したり、寄贈を受け入れたりする際に、どこまでの来歴証明を求めるかという基準づくりが今後さらに問われる可能性がある。
今回のメトロポリタン美術館の対応が示すのは、来歴が不十分な作品への対応が、出身国へ物理的に送り返すことだけではないという点だ。返還と長期貸与を組み合わせれば、展示を続けながら権利関係を整理することもできる。これは日本の博物館が将来、同種の判断を迫られたときに参照しうる具体的な前例になる。寄贈を断る、あるいは受け入れるという二択ではなく、その中間に実務的な解決策を設計できるという点は、日本の文化財行政や美術館運営に携わる関係者にとっても示唆がある話だろう。