展望台つきの凱旋門がドローンと狙撃手の拠点に トランプ氏が変更を発表
ワシントンD.C.に計画されている凱旋門を、ドローンと狙撃手を備えた軍事拠点にすると、トランプ米大統領が発表した。設計はアトランタを拠点とするハリソン・デザイン。高さは76メートル(250フィート)で、当初は頂部に一般公開の展望台を持つ観光施設として計画されていた。
何が起きたのか
トランプ氏がこの変更を明らかにしたのは、現地時間9月20日のTruth Socialへの投稿である。設計を変えたのは米軍の要請によるものだと同氏は説明した。米軍の強い要請により、国家安全保障上の目的から、壮麗な凱旋門を最高級の軍事複合施設と凱旋門を兼ねたものに変えることに同意した、というのが投稿の言葉だ。
用途も具体的に書かれている。トランプ氏によれば、建物は「多数の」ドローンを収容・保管し、ただちに使える態勢を整えるほか、屋根と広場の両方を狙撃手の拠点とし、加えて「多量の」狙撃用弾薬を保管する。
この凱旋門は、ポトマック川南岸のアーリントン記念橋のわきに建てられることになっている。新古典主義の様式で、高さ76メートル(250フィート)はパリの凱旋門より約30メートル(100フィート)高い。完成予想図では、頂部に金色の有翼像が立ち、アーチの上の帯に「ONE NATION UNDER GOD」の文字が刻まれている。
計画が最初に公になったのは2025年10月だった。2026年9月に入って、ダグ・バーガム内務長官が着工が間近だと発表している。手続きも進んでいた。2026年5月に美術委員会(Commission of Fine Arts)の承認を得て、7月には国家首都計画委員会(National Capital Planning Commission)の承認も受けている。ただし7月の議決は敷地と建物の計画についての予備的な承認で、最終の承認は別に採決を要する段階にある。
これまでの計画では、凱旋門は一般に開放される展望台を頂部に持つ観光施設だった。内部には来訪者向けの施設が入り、展示用のギャラリーも図面に含まれていた。これらの空間が軍事利用によってどうなるのか、また今回の変更が取得済みの承認にどう影響するのかは、はっきりしていない。
背景
記念建造物の工事を国家安全保障と結びつける動きは、これが初めてではない。ホワイトハウスでは、大規模な地下の軍事施設に接続する形で舞踏室の建設が進んでいる。この工事をめぐっては差し止めの試みが何度も起こされたが、連邦最高裁は現地時間の2026年8月31日、工事を続けてよいとの判断を示した。
日本にとっての意味
記念のための建物と軍の施設が、一つの事業として同時に建った例が日本にもある。大阪城だ。
1931年(昭和6年)、大阪城本丸に陸軍第四師団司令部庁舎が建てられた。大阪市中央区の説明によれば、大阪城天守閣の再建と同時進行で、本丸の南東角に建った建物である。天守閣の竣功式は同じ年の11月7日だった。
金の出どころは同じだった。天守閣の復興のために集められた市民の寄付は、わずか半年で目標の150万円に達している。大阪城天守閣が公表している当時の大阪市の発表によれば、その内訳は天守閣の建設費が47万1409円、公園の整備費が26万1500円で、残りの半分以上が第四師団司令部庁舎の新築費にあてられた。市民が天守閣のために出した金の半分より多くが、陸軍の庁舎に回った計算になる。
その庁舎が陸軍のものだったのは、1945年の敗戦までである。空襲では大きな被害を受けず、敗戦後は占領軍に接収された。返還後の用途は変わり続ける。1948年から1954年まで大阪市警視庁の庁舎、1955年から大阪府警察本部の庁舎、1960年からは大阪市立博物館。2001年に大阪歴史博物館が新しく建って博物館は閉館し、2017年に商業施設ミライザ大阪城として開き直した。
ワシントンで起きているのは、この向きの逆である。大阪の建物は軍の庁舎として建ち、警察になり、博物館になり、いまは店が入っている。ワシントンの凱旋門は、観光施設として二つの委員会の審査を通したうえで、まだ一本の柱も立たないうちに軍事施設になろうとしている。
建物は、それが何のために建ったかより長く残る。大阪の庁舎が陸軍のものだった期間は14年で、その後の年月のほうがはるかに長い。ワシントンの凱旋門は76メートルの石造りで、建てば同じだけ長く立つ。いま決まっていないのは、その建物を最初に何と呼ぶかである。