シカゴ美術館、ナチス占領下アムステルダムで売却の絵画を遺族へ返還
米シカゴ美術館(Art Institute of Chicago)が、キュビスムの理論家として知られる画家ジャン・メッツァンジェ(Jean Metzinger)の1913年の作品「扇を持つ女」を、ユダヤ人美術収集家エマヌエル・レーヴェンシュタイン(Emanuel Lewenstein)の遺族に返還することで合意した。この絵は1940年、ナチス・ドイツによるオランダ占領下のアムステルダムで競売にかけられていた。現地時間9月22日の報道でこの合意が明らかになった。
何が起きたのか
この絵はパリ在住だったメッツァンジェが描いたもので、画商でレーヴェンシュタインの親族でもあったポール・シトロエン(Paul Citroen)が1919年に取得し、縫製機械会社の経営者だったレーヴェンシュタインが1928年にシトロエンから購入した。レーヴェンシュタインの死後、未亡人はこの絵を含む複数の作品をステデリック美術館(Stedelijk Museum)に保管のため預けたとみられている。「扇を持つ女」は、レーヴェンシュタイン家が所蔵していた複数の絵画とともに、1940年10月にアムステルダムで競売にかけられた。この競売の時点で未亡人はすでに死去しており、子どもたちは国外に移住していた。
シカゴ美術館は1959年、ニューヨークの画廊からこの絵を購入していた。誰が出品したのか、また売却の具体的な経緯は判明していないが、シカゴ美術館の来歴調査(provenance research)責任者ジャック・シューマッハー(Jacques Schuhmacher)氏は、この売却をナチスの迫害の結果とみなすべきだと結論づけたと説明する。同氏は「反証となる証拠がない以上、この売却をナチスの迫害の結果、つまり没収されたか圧力の下で売られた強制売却とみなすのが妥当だ」と述べた。
シューマッハー氏によると、調査チームは文献調査に加え、絵の裏側も詳しく調べた。肉眼では判読できない鉛筆の跡が赤外線写真で撮影され、そこにシトロエンの名前が浮かび上がったという。シトロエンがレーヴェンシュタインの主な画商だったことから、この絵とレーヴェンシュタイン家とのつながりを立証できたと同氏は説明している。1998年に「ナチス略奪美術品に関するワシントン原則」の策定を主導した米国の高官スチュアート・アイゼンシュタット(Stuart Eizenstat)氏は、シカゴ美術館と遺族側の協力について「美術館が調査・来歴確認・返還の実務をどう行うべきかの模範」だと評価した。
1940年の同じ競売にかけられ、レーヴェンシュタイン家に返還された作品には、ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)の「彩り豊かな生活」(1907年)もある。この絵はミュンヘンのレンバッハハウス美術館(Lenbachhaus)に50年以上展示されていたが、返還後は現地時間10月14日にクリスティーズ・ロンドンの近現代美術イブニングオークションに出品される予定で、3000万ドルを超える落札額が見込まれている。ナチス略奪美術品の回収を専門とする企業モンデックス(Mondex Corporation)創業者のジェームズ・パーマー(James Palmer)氏によれば、レーヴェンシュタイン家は今なお約100点の作品の行方を追っているという。
なお、シカゴ美術館は別の返還案件も抱えている。エゴン・シーレ(Egon Schiele)の1916年の素描「ロシア人捕虜」をめぐり、マンハッタン地区検事局が刑法上の押収手続きで同館に作品の引き渡しを求めていたが、現地時間9月17日、ニューヨーク州の控訴裁判所は、下級審が刑法の規定を根拠に押収を認めるべきではなかったとの判断を示した。裁判所は、所有権をめぐる複雑な争いに刑法の規定を適用すべきではないとしている。同様の手法による押収を他に100件行ってきたと裁判所が指摘する検事局にとって、打撃となった。
背景
ナチス・ドイツは1940年5月にオランダへ侵攻した。占領下では、ユダヤ系住民から財産や美術品を没収したり、生活に困窮した所有者に安値での売却を強いたりした事例が数多く知られている。戦後、こうした「強制売却」で流出した美術品の返還を求める動きが各国で続いてきたが、当時の取引記録が乏しく、誰が本当の所有者だったかを立証すること自体が難しいケースが多い。
1998年に米国主導でまとめられた「ワシントン原則」は、こうした来歴不明瞭な美術品について、博物館や美術館に積極的な調査と、正当な請求があった場合の公正な解決を促す国際的な指針となっている。今回のシカゴ美術館の対応は、赤外線写真による科学的な裏付けも交えながら、この原則に沿った調査を積み重ねた結果といえる。それでも、レーヴェンシュタイン家がなお約100点の作品の所在を追っているとされる点は、こうした調査と返還が何十年たっても終わらない、息の長い営みであることを示している。
日本にとっての意味
ナチス時代にユダヤ人の手を離れた絵をめぐる争いは、日本にも及んでいる。そしてそこにも、シカゴ美術館が出てくる。
東京・新宿のSOMPO美術館が所蔵するゴッホの「ひまわり」(1888年)は、ドイツ系ユダヤ人の銀行家パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディが持っていた絵である。1934年に売却され、1987年にロンドンのクリスティーズの競売で安田火災海上保険(現SOMPO)が落札した。
メンデルスゾーン=バルトルディの相続人3人は、この絵の返還を求めてアメリカでSOMPOホールディングスを訴えた。アメリカの裁判所で争える根拠として挙げたのが、「ひまわり」が2001年にシカゴ美術館で展示されたという事実である。今回メッツァンジェの絵を遺族に返したのと、同じ美術館だ。
訴訟は、絵の来歴に立ち入らないまま終わった。イリノイ州北部地区の連邦地裁が管轄がないとして訴えを退け、第7巡回区控訴裁判所は2025年11月21日、これを支持した。シカゴでの展示はSOMPO側がイリノイ州で保険を売る助けになった限りで意味を持つにすぎず、同社はイリノイ州で保険を売っていない、というのが理由である。連邦最高裁は2026年6月8日、上告を受理しなかった。
シカゴ美術館は、売却の具体的な経緯が判明しないまま、反証がない以上は迫害の結果とみなすのが妥当だと自ら判断して返した。同じ都市の裁判所は、「ひまわり」について、そもそもここで判断すべき事件ではないと述べた。絵が動くかどうかは、来歴を調べる手前の段階で、誰がその問いを引き受けるかによって決まっている。