火星の名物雲、教科書だけの「ありえない物理」で発生か
火星の巨大火山アルシア山の風下に毎朝現れる帯状の雲について、欧州宇宙機関(ESA)の火星探査機「マーズ・エクスプレス」と最新の気象モデルを使った研究で、教科書には載るものの自然界では起きないとされてきた特殊な過程が関わっている可能性が分かった。研究結果は2026年10月7日、学術誌Nature Geoscienceに発表された。
何が起きたのか
火星の南半球が春から夏を迎える砂塵の季節、高さ20kmの巨大火山アルシア山の風下に、氷でできた帯状の雲「アルシア山細長雲(AMEC)」が現れる。長さは最大1800kmに達する。毎朝発生しては短時間で蒸発し、これが数か月間繰り返される。ESAのマーズ・エクスプレスは2018年にこの雲を初めて捉え、その後も繰り返し観測してきた。
山や火山の風下にできる「地形性の雲」の一種とみられていたが、既存の気象モデルでは発生の仕組みを再現できなかった。研究チームが最新の気象モデルに「均質核生成」という過程を組み込んだところ、観測された雲の姿をほぼ再現できた。通常、雲は水蒸気が塵や塩などの微粒子に付着して凝結する「不均質核生成」で生まれるが、均質核生成では微粒子を介さず水蒸気が直接氷の粒に変わる。
論文の主著者ホルヘ・エルナンデス・ベルナル氏(フランス・LMD/CNRS/ソルボンヌ大学)は「これまで惑星の大気でこの過程が実際に起きているのを見たことはなかった。まったく予想外だ」と述べている。
背景
火星で雲の核になる微粒子は、主に砂塵だと考えられてきた。微粒子を介さない均質核生成は理論上は知られていたが、通常の環境では起きないと考えられていた。これが起こるには、地球の日常生活で経験する湿度の10万倍を超える極端な過飽和状態が必要とされる。
研究チームによれば、アルシア山細長雲の発生する場所でこうした極端な状態が生まれるのは、火星の大気が薄く、しかもアルシア山が高さ20kmもあるためだ。風がアルシア山にぶつかると強い波が生じ、湿った空気を数kmの高さまで数分で持ち上げる。その結果、わずか10分で気温が30度下がり、相対湿度が急上昇して、水蒸気が直接凍って雲になるとみられる。
日本にとっての意味
雲ができる仕組みの前半部分、つまり地形が起こす波が高層の大気を持ち上げて巨大な模様を作り、しかもその模様が決まった時間帯に繰り返し現れるという点は、日本の金星探査機「あかつき」が金星で確かめた現象と同じ骨格を持つ。あかつきは2015年12月、標高約5kmのアフロディーテ大陸の上空に南北約1万kmに及ぶ弓状の構造を発見し、この構造が雲頂を吹く秒速約100mの高速風に流されず、ほぼ同じ場所にとどまることを確認した。数値シミュレーションでは、山がもたらす気圧変化が重力波として上空65kmまで伝わり、弓なりに広がる様子が再現されている。続く観測では、この構造が低緯度の山脈地帯の上空で金星の1日(地球の約117日)ごとに、正午過ぎから夕方にかけて決まって発生することも分かった。
ただし火星の雲で鍵となった「均質核生成」という氷の作られ方自体は、金星の弓状構造とは別の話である。両者の対応は、地形が起こす波が高層大気に日々同じ模様を作るという前半の仕組みにとどまる。