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独フランクフルト郊外、軍神マルスを祀ったとみられる神殿跡発見

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ドイツ・フランクフルト北部郊外の森で、ローマ時代の神殿跡が見つかった。ヘッセン州文化財保護局が現地時間の9月25日に発表した。碑文の文言から、軍神マルスを祀った神殿だったとみられている。

何が起きたのか

神殿跡はタウヌス山地東麓の森の地表近くに埋もれていた。建物は長方形で長さ約5メートル。内部には壁3枚だけで囲まれた小さな方形の部屋があり、壁の厚さは約50センチだったという。研究者は、中心の祈りの間を木の扉で仕切り、屋根付きの回廊で囲んだ「アンビュラトリー・テンプル(ambulatory temple)」という形式の神殿だった可能性を指摘している。

現場からは碑文のほか、マルスを表したとみられる彫像の破片や、勝利の女神ヴィクトリアを表したとみられる破片も出土した。後者は欠損しているものの、翼、ヤシの枝、月桂冠といった特徴がはっきり残っている。ヴィクトリアはマルスとともに描かれることが多く、ローマ軍の中で信仰された女神だという。マルスはローマとその生活様式の守護者とされ、毎年春と秋の2回、祭りが開かれていた。神殿跡は、ローマ軍の砦カーパースブルク(Kapersburg)と、それに隣接する「ヴィクス(vicus、軍人の家族や商人など民間人が住んだ集落)」の発掘調査の中で見つかった。

背景

カーパースブルク砦は、皇帝トラヤヌスかハドリアヌスの治世にあたる2世紀に築かれたとみられる辺境の軍事拠点で、ローマ軍の部隊が約150年にわたって駐屯し、3世紀半ばに放棄された。砦には約160人の兵士がいたのに対し、隣接する集落には最大700人が暮らしていたとみられる。この一帯は、ライン川とドナウ川の間を結ぶ全長約550キロメートルの「上ゲルマニア・ラエティア・リーメス」(ローマ帝国の国境線の一部)に含まれ、2005年にユネスコの世界遺産に登録された。

砦自体の発掘は数十年続いてきたが、研究者が隣接する集落に目を向けたのは比較的最近のことだ。干ばつや病害虫、嵐によって周囲の森林の一部が失われ、地表が見えるようになったことがきっかけだったという。

今回はこの集落側の調査で、神殿のほかに鍛冶場の跡や、穀物を乾燥させるためとみられる窯も見つかっている。想定していたほど住居の跡が見つからなかったことから、この区域は砦と集落の間の中間的な区域だったとみられている。

日本にとっての意味

辺境の軍事拠点が、国家を守る神の祭祀の場でもあるという構図は、日本の大野城跡(福岡県)にも見られる。大野城は663年の白村江の敗戦を受け、665年に国土防衛のため築かれた山城だが、約110年後の774年、新羅が日本を呪っているという噂を受けて四天王を祀る四王寺が置かれ、山は四王寺山と呼ばれるようになった。この二面性は文化庁の指定基準にも反映されており、大野城跡は「城跡」と「祭祀信仰に関する遺跡」という二つの基準で指定されている。カーパースブルクの神殿は砦の存続中から祀られていたとみられるのに対し、大野城の場合は築城から約110年を経て信仰の場が加わった点で、時間差のある対応関係といえる。