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ペルー北部でモチェ文明の土器工房集落を発掘、住居兼工房と判明

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ペルー北部ラ・リベルタ州のセロ・マヤル遺跡で、南米古代文明モチェの土器生産拠点とみられる遺構が見つかった。約30年間中断していた発掘調査が再開され、職人が住み込みで作業していた「住居兼工房」の痕跡が確認された。年代は西暦7世紀頃とみられている。

何が起きたのか

発掘を行っているのは、ペルー国立サンマルコス大学の「チカマ考古学プログラム(Prach)」のチームだ。地元通信社アンディーナの報道によると、セロ・マヤル遺跡はチカマ渓谷にある小規模な集落で、モチェ土器の工房が集中していたことで知られる。昨年の調査再開以降、型(moulds)や陶工が使った円盤、そして大量の製造廃棄物が地層の上層で見つかっている。

Prachの共同ディレクターを務める考古学者ヘンリー・タンタレアン氏によると、今シーズンはとりわけ小像用の型が多数出土しているという。陶工が使った円盤や、製造工程で生じた廃棄物も数多く見つかっている。昨年の調査では日干しレンガと石で造られた壁や、器を成形する作業場らしき区画も確認されており、人が実際にそこで暮らしながら作業していたことが分かってきたという。

この遺跡は1980年代末から90年代半ばにかけて、考古学者グレン・ラッセル氏とバンクス・レナード氏が調査し、放射性炭素年代測定によっておおよその年代を特定していた。その結果は7世紀頃と、モチェ文明の「フェーズIV」期にあたる5〜6世紀の計6つの年代に絞り込まれていたが、当時の測定技術は現在ほど精度が高くなかった。Prachのチームは新たに採取した試料を米国の研究機関に送り、より精密な年代測定を進めている。

遺跡は民間企業カサ・グランデ製糖会社の敷地内にあり、盗掘や開発による浸食の危険にさらされてきた。タンタレアン氏は「これまで十分に保護されてこなかった遺跡だ」と述べ、できる限り多くの情報を集める必要性を強調している。

背景

モチェ文明は、紀元100年頃から800年頃にかけて、現在のペルー北部沿岸の砂漠地帯に栄えた文化圏だ。単一の王国ではなく、独立した都市国家や自治的な政治体がゆるやかなネットワークを形成し、共通の宗教や芸術様式、高度な灌漑技術を共有していたとされる。中でも土器は精巧な装飾と型を使った成形技術で知られ、実在した人物の顔を写実的に表現した「肖像土器」はモチェ文化を象徴する遺物として名高い。

これまでの研究の多くは、出土した土器そのものの図像やデザインの解読に重点が置かれてきた。ベネズエラ・カラカスを拠点にアンデスとアマゾンの文化交流を研究する考古学者ホセ・ミゲル・ペレス=ゴメス氏は、セロ・マヤルの再調査について「モチェ文化の中でも最も理解が進んでいない領域、つまりあの精巧な土器を作り出した人々や社会の仕組みを明らかにする可能性がある」と評価する。同氏によれば、粘土や顔料をどこから調達したか、型がどう作られ複製・流通したか、器の成形・彩色・焼成の工程、工房内での労働の組織のされ方、そして職人が独立して働いていたのか、それとも支配層の庇護下にあったのか。こうした一連の生産工程(考古学でchaîne opératoireと呼ばれる)の解明が、今後の研究の焦点になるという。

日本にとっての意味

アンデス地域の考古学は、東京大学や山形大学などが長年にわたり発掘調査を続けてきたとされる分野で、モチェ文明を含む古代アンデス文化の研究は日本の学術界にとっても馴染みの深いテーマだ。注目されるのは、今回セロ・マヤルで確認されたのが、職人が住みながら器を焼いていた「住居兼工房」型の生産拠点だという点だ。これは日本の考古学でもたびたび議論されてきた、須恵器(すえき)の窯跡や窯業集落の研究と重なる問いを含んでいる。すなわち、量産体制がどのように組織され、技術や道具がどう継承・共有されていたのか、という問いだ。

土器という同じ「焼き物」を手がかりに、ユーラシア大陸の反対側にある古代アンデスと古代日本の生産のあり方を比べてみると、地理も文化も全く異なる社会が、効率よく質の高い器を作り続けるために労働と住まいをどう組み合わせるかという似た課題に、それぞれどう向き合ったかが見えてくる。セロ・マヤルの今後の調査結果は、そうした比較の視点からも参照される可能性がある。