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リマ旧市街地下から16世紀の病院と教会跡、遺骨も出土

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ペルーの首都リマにある旧市街の世界遺産地区で、16世紀に建てられた病院とその付属教会の遺構が見つかった。現地の文化財保護機関が発表し、美術専門メディア「アート・ニュースペーパー」が日本時間8月11日に報じた。発見場所は、アメリカ大陸で最初のカトリック聖人として知られるサンタ・ロサ・デ・リマの聖堂の庭園部分で、床や壁のほか、埋葬された人骨、18世紀のタイルなどが出土している。

何が起きたのか

リマ旧市街の再生事業を手がける公的機関「プロリマ」によると、遺構が見つかったのはサンタ・ロサ・デ・リマ聖堂の外庭を整備していた際だった。同機関のルイス・マルティン・ボグダノビッチ・メンドサ事務局長は「かつてそこに聖霊教会と聖霊病院があったと分かっていたので発掘調査に踏み切ったところ、実際に見つかった」と説明している。

発掘では、病院の入り口にあったヘリンボーン柄の石畳、レンガ敷きの床、川石を積んだ教会の壁などが確認された。教会の床下からは、複数人がまとめて葬られた納骨用の壁がんが見つかっている。病院で亡くなった船乗りたちは、葬儀費用を払わずにここに埋葬してもらえたという。ほかに18世紀のバレンシア産タイルも出土した。当時スペイン領だったバレンシアはタイルや織物の一大輸出地で、多くがリマに運ばれていたとされる。

聖霊病院は1573年、ギリシャ出身の商人ミゲル・デ・アコスタが船乗りとその家族の療養のために設立し、1581年から運営が始まった。各病室には小さな祭壇があり、患者は日曜と祝日にベッドから礼拝に参加できたという。植民地時代の病院は院内に教会を併設するのが一般的だった。運営資金は、ペルーの外港カヤオを出港する船が積載量と航路に応じて支払う手数料と、船員の給与からの天引き(考古学者によれば5%程度)でまかなわれていた。民間の医療保険のような仕組みだったとみられる。

病院と教会は19世紀半ばには宗教活動がほとんど行われなくなり、その後聖別を解かれた。祭壇画は同じくリマ旧市街にある別の教会に移された。建物自体はペルー独立後も海に関わる機関に転用され、1817年には王立航海学校、続いて海軍中央学校が入り、その後は技師養成の学校などにも使われたのち、1940年代に取り壊されたという。

背景

リマは1535年にスペインの征服者フランシスコ・ピサロが建設した都市で、スペイン領ペルー副王領の首都として南米で最も重要な政治・行政・宗教・経済の中心地だった。「諸王の都市」とも呼ばれたこの旧市街は、1991年にユネスコの世界遺産に登録されている。長年の地震被害や荒廃を経て、近年は歴史地区の修復が進められており、今回の発掘もその一環とみられる。

発見場所となったサンタ・ロサ・デ・リマ聖堂の主は、1617年に31歳で亡くなったアメリカ大陸初のカトリック聖人サンタ・ロサ本人で、病人を癒やしたという逸話が伝わる人物。聖霊病院は彼女の自宅の隣に位置していたという。

日本にとっての意味

この種の発掘速報は、日本の一般メディアではほとんど扱われない。しかし出土した遺構は、大航海時代以降にスペインが築いた植民地医療・宗教制度の実態を具体的に示す資料としての価値がある。船員から給与の一部を天引きして医療費に充てる仕組みは、現代の社会保険制度の源流の一つを考えるうえでも興味深い事例といえる。

また、リマの旧市街は世界遺産に登録された観光地であり、今回の遺構は現地の8月24日、サンタ・ロサの命日にあわせて一般公開される予定だ。人骨そのものは展示されず、樹脂製の模型を使った展示になるという。中南米への渡航を検討する読者にとっては、こうした発掘現場が新たな見どころとして加わる形になる。日本からの直行便はないが、ペルーは近年、考古学と観光を組み合わせた発信に力を入れているとされ、マチュピチュ以外の文化遺産にも目を向ける材料として知っておく価値がある。