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ペルーのチムー王朝の都チャンチャンで未盗掘の墓を発見、遺骨38人分

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ペルー北部のチャンチャン遺跡で、盗掘を受けていない約600年前の墓が発掘された。少なくとも38人分の遺骨と、金や銅の装飾品、武器、織物などの副葬品がほぼ手つかずの状態で見つかった。副葬品の豊かさから、埋葬されたのは王族を含む上流階級の人々だったとみられている。

何が起きたのか

墓が見つかったのは、かつてプレ・インカ期のチムー王国の都だったチャンチャン遺跡の「Utzh An」と呼ばれる区画。2026年に入ってからの発掘調査で、砂や土、石の層の下から入り口の階段が現れた。階段を下りた先の中央の部屋は、政府系の通信社アンディーナによると幅約1.2メートル、奥行き約4.9メートル。ここから頭部に赤い顔料の痕跡が残る1体の遺骨が見つかった。

この顔料は辰砂(しんしゃ、cinnabar、水銀を含む鉱物由来の赤色顔料)である可能性があるという。遺骨の一部は失われており、研究チームは後年になって遺骨が動かされたか、埋葬し直された可能性があるとみている。死者を埋葬後も長く敬い、遺体と関わり続けるという風習は、当時のアンデス社会で広く見られたとされる。

中央の部屋の左右には別の部屋があり、一方はほぼ空だったが、もう一方からは約20体分の遺骨と副葬品が出土した。さらに墳墓全体の発掘を進める中で17体の遺骨が追加で見つかり、埋葬されていた人数は少なくとも38人にのぼった。年齢や性別、死因など詳細の多くはまだ分かっていない。ペルー文化省のヘンリー・ルイス・ガヨソ氏は、これらの人々が上流階級か、それに近い立場にあったことは今のところ確かだと述べている。

今回の調査を率いたホルヘ・メネセス氏は、これまでチムー社会の上流階級の埋葬に関する知識は「盗掘された墳墓や個人のコレクション、博物館の所蔵品から得られたものであり、遺骨とそれに対応する副葬品についての科学的なデータは存在しなかった」と語っている。調査に関わっていないフロリダ大学の人類学者ガブリエル・プリエト氏は、この発見について「考古学者として、チムーの上流階級の埋葬を初めて目にすることができたという意味で、10年で最大の発見だ」と評価している。

背景

チムー王国は、西暦900年ごろから1470年ごろまで現在のペルー北部で栄えた文明。乾燥した谷間で人々が暮らせるよう灌漑用水路網を築き上げた。当時の新大陸で最初の本格的な土木技術を持つ社会だったとする専門家の指摘もある。歴代の王は代替わりのたびに新しい城壁付きの宮殿を築き、多くの宮殿には王を弔うための墳墓の壇が設けられていた。最盛期のチャンチャンは南北アメリカ大陸最大級の都市で、人口は6万人に達したとされる。

チムー王国は15世紀半ば、インカ帝国の征服を受けて支配下に入った。今回見つかった墓は、征服の直前か、その最中の時期のものとみられている。植民地時代以降の盗掘を免れ、ほぼ手つかずの状態で残っていたこと自体が異例だという。チャンチャンはユネスコの世界遺産に登録されているが、調査が進んでいるのは遺跡全体のごく一部にとどまる。メネセス氏は、これまでに発掘できたのはチャンチャンの総面積の7%に過ぎないと話している。

日本にとっての意味

アンデス文明の出土品は、盗掘品や個人のコレクションを経由して世界各地の博物館に渡ってきた経緯があり、日本の博物館や個人の所蔵品の中にも、こうした来歴(どのような経路で国外に持ち出されたか)がはっきりしない資料が含まれている可能性がある。メネセス氏が語ったように、これまでのチムー上流階級の副葬品に関する理解の多くが盗掘品由来だったとすれば、今回のような発掘の記録が残る未盗掘の資料は、そうした既存の所蔵品を科学的に比較・検証するための基準になりうる。

日本ではアンデス考古学に関する研究の蓄積があり、こうした発掘成果が専門的な関心を集めやすい分野でもある。一方でチャンチャンは日干しレンガでできた遺跡で、強い降雨などの気象条件によって劣化が進みやすいと指摘されてきた世界遺産でもある。貴重な発見が相次ぐ遺跡の保存と公開をどう両立させるかは、遺跡を抱える国に共通する課題であり、日本国内の文化財保護のあり方を考える際の比較材料にもなる。