ネパール洪水は『適応の限界』、科学者らが予測困難と分析
ネパールとチベットの国境地帯で8月に起きた大規模な洪水について、気象災害と温暖化の関係を分析する国際的な科学者グループ「World Weather Attribution(WWA)」が、現地時間9月17日に調査結果を公表した。氷河の下で岩と氷が崩れ落ちる現象が引き金となった今回の災害は、現在の科学の水準では予測も、住民の事前避難による回避もほぼ不可能だったとしている。この結果はネパールが求めている国際的な資金支援の後押しになるとみられる。
何が起きたのか
災害は現地時間8月26日の朝、氷河の下で岩と氷が崩れ落ちたことから始まった。大量の岩と氷は1キロ以上落下して谷底に達し、そこでさらに岩や氷を巻き込みながら土砂と氷の奔流となって谷を下った。奔流は幅の狭いレンデ・コーラ(Lhende Khola)峡谷に流れ込み、人の往来が多いギロン(Gyirong)の国境検問所を時速170キロで直撃した。その後も下流へ進むうちに、次第に水を主体とする洪水へと姿を変えて速度を落とした。
川沿いの村や道路、橋、水力発電所が次々と押し流され、ネパール側で1,300人超が死亡し、5,000人以上が行方不明のままとなっている。中国が統治するチベット側でも少なくとも40人が死亡した。川から離れた高台にいた住民の多くは無事だったが、洪水の速度が速すぎて、多くの人は高所へ逃げられず、避難を呼びかける警報も届かなかったという。ネパール政府の被害調査では、住宅7,500棟超、橋105か所、公共施設48か所、文化遺産47件、学校18校、水力発電施設13か所などが被害を受け、3万人以上が影響を受けたとされる。
WWAの共同創設者フリーデリケ・オットー氏は、記者団に対し「どれだけ地域で適応を進めても、下流の弱い立場の人々をこの規模の破壊から完全に守ることはできない」と述べた。研究の共著者でユトレヒト大学の山岳水文学教授ウォルター・イマゼール氏も、現在の手法では今回の崩落を事前に予測することはできなかったとしている。ネパールは雨による洪水には早期警報の仕組みがあり、氷河湖が決壊して起きる洪水についても監視体制があるが、今回のような氷河下の岩と氷の崩落は仕組みが複雑でまだ研究が進んでおらず、監視の手法自体が模索段階にあるという。
なぜ防げなかったのか
WWAの調査によれば、今回のような岩と氷が一体となって崩れ落ちる現象は極めて予測が難しく、また被害が及ぶ川沿いの地域から住民を移住させることも現実的ではないという。谷沿いの平地は限られており、交通や水力発電といった生活基盤そのものが川に依存しているためだ。
イマゼール氏は、将来的には衛星を使ったレーダー干渉(radar interferometry、地表のわずかな動きを捉えて崩落の兆候を探る手法)などの遠隔観測技術で、崩落の危険が高い氷河や岩壁を絞り込んで監視する道はあり得ると説明した。地震計や水位計、監視カメラを組み合わせた早期警報の設置も考えられるが、ヒマラヤ全域の氷河を網羅するのは現実的でなく、人口や施設の集中する川筋に対象を絞っても多額の投資と国際的な協力が必要になると付け加えた。
背景
今回の「適応の限界(limits to adaptation)」という表現は、住民や自治体がどれだけ備えを尽くしても防ぎきれない被害の水準があるという考え方を指す。WWAの分析は、温暖化がこの崩落の要因の一つだとしている。一般に、気温上昇で氷河の氷が薄くなったり後退したりすると、それまで氷が支えていた背後の岩盤が不安定になり、また高地の永久凍土が融けることで岩の割れ目を固めていた氷が失われるため、山腹が崩れやすくなる。
ネパールの被害額は復旧・復興だけで48億ドルに上ると見積もられている。これを受けてネパール政府は、国連の下に設けられた「ロス・アンド・ダメージ基金(Fund for Responding to Loss and Damage)」に緊急支援を求めている。この基金は温暖化対策の中でも、排出削減や将来の被害を防ぐ適応策とは異なり、すでに起きてしまった損失や被害を補うために作られた仕組みだ。
ネパールのシシル・カナル外相は、今回の洪水について「まさにこの基金が対応するために作られた、気候変動が引き起こした災害だ」と述べている。基金の理事会は9月16日に非公式に協議したが、ネパールに上限2,000万ドルを拠出するかどうかの結論は出ていない。この額は被害見積もりの半パーセントにも満たない。開発途上国のグループは、この対応を話し合うための緊急理事会の開催を求めている。
日本にとっての意味
日本は氷河下の岩と氷の崩落という災害そのものにはなじみが薄いが、接点は複数ある。まず、日本もこの基金への拠出国の一つであり、ネパールへの支援がどう決まるかは、この基金が実際にどんな災害を対象とし、どの程度迅速に機能するのかを占う試金石になる。次に、日本の土砂災害の警戒情報は降水量を基準に発令される仕組みが中心で、今回のように雨を伴わない氷河・岩盤の崩落を引き金とする災害には、既存の枠組みがそのまま当てはまりにくい。さらに、急峻な谷筋に集落や道路、水力発電施設が連なるという地形的な条件は、日本の山間部にも共通する。
今回の分析が示したのは、備えを尽くしても防ぎきれない災害があり得るという現実だ。予測技術への投資と合わせて、そうした限界を前提にした復旧支援の仕組みをどう用意するかが、次の課題となる。