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チムー王国の都チャンチャンで、盗掘免れた600年前の墳墓を発見

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ペルー文化省は現地時間の9月8日、同国北部の遺跡チャンチャンで、盗掘を受けていない600年前のエリート層の墳墓を発見したと発表した。チャンチャンはインカ帝国に征服される前、ペルー北部沿岸を支配したチムー王国の都だった。墳墓からは38人分の人骨と、装飾品や金属製の武器、織物などの副葬品が見つかっている。

何が起きたのか

発見されたのはチャンチャン遺跡内のウツ・アン地区にある墳墓で、幅1.2メートル、深さ5メートルの中央室と、それぞれ幅1.5メートル・長さ8メートルの側室2つからなる。中央室へは2.5メートルの階段を下りて入り、内部には遺体1体と貝殻・金属製の副葬品があった。側室の一方には武器や金属製の紋章が、もう一方には20人分の人骨が納められていた。墳墓上で見つかった18人分とあわせ、ペルー文化省は全体を38人分としている。

見つかった装飾品には、貝殻や水晶で作られた耳飾りやネックレスなどがあり、埋葬された人々がチムー社会の上位層だったことをうかがわせる。チムーの埋葬は屈葬や座葬が一般的だが、1体だけ体を伸ばした状態で埋葬されていた。これは身分の違い、あるいは儀式的な生贄を示す可能性があるという。頭蓋骨や土器には赤い顔料も残っており、チャンチャンの調査責任者ヘンリー・ガヨソ・ルリエ氏は、硫化水銀とみられるこの顔料は「シナバー(辰砂)」と呼ばれ、中央アンデス一帯で土器や壁画、戦士の身体、生贄の儀式、死者の顔を覆う葬送用の仮面などに使われていたと説明する。

今回の発見の最大の特徴は、盗掘を免れていた点にある。考古学者ナディア・ガマラ・カランサ氏によれば、チャンチャンではこれまでにエリート層の墳墓が9基ほど見つかっているが、いずれも盗掘済みだった。手つかずのまま見つかったのは二次的な埋葬地に限られており、今回のような主要な墳墓が無傷で発見されたのは初めてだという。発掘は2027年まで続けられ、出土した人骨や副葬品の分析が現在進められている。

背景

チムー王国は9世紀から15世紀にかけて栄えた、ペルーの主要な先スペイン期文明のひとつで、インカ帝国に併合される前にペルー北部の沿岸地域を支配していたとされる。その都チャンチャンは、日干しレンガ(アドベ)で築かれた建造物が広がる、アメリカ大陸最大級の都市遺跡で、1986年にユネスコの世界遺産に登録された。宮殿ごとに設けられた壮大な墳墓は、チムーの王や支配者層と結びついていたと考えられており、死者を弔う儀礼が社会の中心にあったことを示している。

チャンチャンの墳墓が盗掘の対象になったのは、植民地時代にさかのぼる。ガマラ氏は、1534年に建設されたトルヒーヨの街がチャンチャンに近かったため、金属製の副葬品を狙った盗掘が早くから行われてきたと指摘する。今回の発見が学術的に重視されるのは、単に副葬品が豊富だからではなく、中央室が手つかずで残り、墳墓全体から例外的な情報が得られるためだ。

プロジェクトの責任者を務める考古学者ホルヘ・メネセス氏は、中央室の様子は、より長く続く「先祖への崇敬」の儀礼の一場面を映し出したものとも解釈できると述べている。アンデスの文化では、死は生者との関係の終わりを必ずしも意味しなかったという。

日本にとっての意味

日本でペルーの古代文明といえば、地上絵で知られるナスカや、インカ帝国の遺跡マチュピチュを思い浮かべる人が多いだろう。しかしそのインカに征服される前、南米最大級のアドベ都市チャンチャンを築いていたのがチムー王国であることは、日本ではあまり知られていない。今回の発見は、インカという「征服した側」の物語の陰に隠れがちな、征服された側の文明の姿を伝える手がかりになる。

また、この発見が示す盗掘の歴史は、文化財の国際的な違法取引という問題にも通じる。チャンチャンでこれまでに見つかったエリート層の墳墓9基ほどが、いずれも盗掘を受けていたという事実は、金属製品を狙った盗掘が数百年にわたり遺跡から情報を奪い続けてきたことを物語る。遺跡の保存修復の専門家が、展示や保管を検討する前にまず個々の遺物の状態を評価する必要があると強調している点は、発掘された文化財をどう守り伝えるかという、日本の博物館や文化財保護の現場にも共通する課題を示している。